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母への「ありがとう」

「洋服に着替えると、おしゃれでシャンとして見えていいね!」
「こんなんじゃなくて、もっと他の…赤いような服があったろうね」

またか…いつものことだけど、心がキュッとなる。
隣にいた病院の相談員の方と一瞬顔を見合わせ、わたしは明るく言った。
「それは申し訳なかったねぇ」

大腿骨を骨折し、4月に手術を受けた母が先日退院した。今年は梅雨入りが遅く、母に付き添うため帰省した6月中旬の5日間は幸いにも天気に恵まれた。

冒頭の母の言葉は、わたしが届けた退院用の衣類を身に付けての感想だ。

いつもそう。わたしがしたことは何か気に入らない。表情は硬く、お礼の言葉もない。「ありがとう」は母が事細かに指定したものをわたしがその通り用意したときだけ、言われる。

お菓子が食べたいというので持っていくと「それでは足りない」
おかずをあまり食べないのに「梅干しと佃煮が欲しい」
今のメガネが見えにくいと言うので、新しく眼鏡を作ったら「これは全然ダメ」。本人を連れて行き再調整しても後になって「これは見えない」。

帰省するとこうして母に振り回される。言うとおりにしないと不機嫌だし、しても不満を漏らす。根っこの何かが解決していないので、要求には終わりがない。

だから同居や近居で面倒を見ることができない。さいたま市から(島根に戻らず)広島県内に移住したのも、わたしの心身を守るため。親の介護において、一人っ子のわたしが潰れれば親子共倒れだ。

母との物理的な距離は常に繊細に決めている。

幸い、介護者、看護者の方に対してはそんな態度を見せないのでなんとかなっている。それでも新しい環境が苦手で、初めは「行かない」「やりたくない」を連発…あの手この手で促してくれるみなさんには感謝しかない。

退院日の午後は本人同席で介護サービスの契約やら打ち合わせやら。母はやや怪しいながらもしっかりとした受け答えをする。時には笑顔も見せる。二日前の辻褄の合わなさ、幻視はどこへやら…他人のいる場所ではものすごく頑張るのだ。(だから翌日は「疲れた」とこぼす)

そんな母の傍らで何枚も契約書を書き、わたしは疲れ切ってホテルに戻った。せめて笑顔でと思い朝病院に行ったのに、笑顔のままではいられなかった…。

夜になっても母の不満が身体にまとわりついていた。わたしは「ありがとう」の言葉がほしかった。叶えられないとわかっているのに、同じことを何度思っただろう…何年も何十年も、バカみたい。

…しばらくして、ふと思った。
(じゃあわたしは、母の何に対して「ありがとう」って言えるのかな)

「育ててくれてありがとう」
これは今のわたしにはとてもハードルが高い。幼少期からの辛かった思いを全てチャラにできるほど、わたしは人間が出来ちゃいない。(そのあたりの事情に言及した記事がこちら↓)

「産んでくれてありがとう」
これなら言えるかも。産んでくれたおかげで(長い道のりだったけど)いまは生きていてよかったと思えるようになった。母が産んでくれたからわたしがいる。それは間違いない。

お年寄りは明日どうなるかわからない。ありがとうを言うなら少しでも早いほうがいい。ましてや母には認知症がある。

一人の部屋で、声に出して言ってみた。

「産んでくれてありがとう」 

うん、大丈夫。

翌日、移動中の車のラジオから、KANの「愛は勝つ」が流れてきた。1990年のリリース当時は「そうだったらどんなにいいか」と斜に構えて聞いた曲だ。それなのに今は泣けてしょうがなかった。歌詞の言葉が沁みてくるまで35年近くかかったよ…


用事を済ませて会いにいくと、いつもの固い表情の母がいた。かかりつけの先生の話、薬剤師さんの話をした。落ち着いた受け答えだ。続けてわたしが引っ越した話をしたら「ふーん」で終わった。表情は変わらず会話はあまり弾まない。

いくつかの生活準備をし、帰り際、テレビを見ていた母の耳元でわたしは言った。

「じゃあ行くね。産んでくれてありがとう。」

母が振り向いた。それまでの固い表情がふわぁと和らいだ…それはわたしの想像していない反応だった。

いま無理なく言えることを、言えてよかった。今回の帰省、最大のミッションはこれだったか…わたしはどこかすっきりした気持ちで部屋を後にした。

帰り、少し寄り道して道の駅「ゆうひパーク三隅」に行ってみた。日本海は珍しくベタ凪で、それはそれは美しかった。それがサムネイルの写真です。


いつもなら帰宅してからも延々と残る、母の不満は不思議とまとわりついてこなかった。


これで雪解けとか、親子関係の問題が全て解決するとは思っていない。いま親子関係に苦しんでいる人に、「感謝の気持ちを伝えよう」などという気もさらさらない。わたしだって何十年もできなかった。何か言えるとしたら、親を疎ましく思うことしかできない自分自身をどうか抱きしめてほしいと思う。

わたしが母に「無理なく」伝えられる感謝を云いおいて行くこと、それを積み重ねることが、今ならできそうな気がする。今なら…。

側から見たら自己満足かもしれないし、次は反応がないかもしれない。それでも、「ねばならない」ではなくて「したい」と思ってできることが見つかってうれしかったし、それが思いがけず自分のチカラにもなっているようだ。

わたしはわたしのままでいいし、母は母のままでいい。
わたしはわたしの人生を、母は母の人生を、それぞれ歩んでいく。

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