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夏休み【前編】〜星のや東京編〜

久々の投稿になってしました。奥入瀬渓流の自然をテーマに何本か書こうと筆は取ってみましたが、素材が思うように集まらず公開まで至らず断念。

言い訳も済んだところで。


今回の記事では、8月と9月にそれぞれお休みをいただいて、星のや東京とOMO5函館に泊まってきた模様をご紹介したいと思います。

@OMO5函館

「塔の日本旅館」 星のや東京

いきなり私ごとで恐縮ですが、8月上旬に兄弟のように育ってきた従姉妹が結婚式を挙げました。
その式に参加するために東京に戻っていたのですが、その際せっかくだからと星のや東京に宿泊することに。

東京出身なので丸の内や皇居周辺には何度も足を運んでいますが、あの高層ビル群の中に高級日本旅館があるとはなかなかイメージがつきません。
碁盤の目のように区画されたビル街を進むと、少し周囲のビルとは趣の異なるビルが見えてきます。

この特徴的な格子模様が目印

大きなヒバの一枚板の扉が開き1歩敷居を跨ぐと、和風の玄関にテレポート。東京の真夏の暑さも吹き飛びます。畳が敷かれた和風の内装である一方で、ビルの高さを生かした開放的な空間になっていて、まさに未知の非日常の入り口といった趣です。

荷物を預け、靴を脱ぎ、解放された気分で2階のフロントへ向かいます。移動のエレベーターが到着すると拍子木の音が鳴る演出。細かいところまでいき届いています。

チェックインの前に冷たいお茶と涼しげな水色の和菓子で涼んだらいよいよお部屋にご案内。

テレビはどこにあるでしょう?

新感覚!”ラグジュアリーでモダンな和室”

お部屋は畳で、窓には障子、違棚も備え付けられている和室なのですが、一般的な日本旅館とは一味違い、モダンで洗練された雰囲気もある独特な空間です。
また、「星のや」ブランドでは”圧倒的非日常”にいざなうための演出としてテレビを置かない施設が多いのですが、ここ星のや東京では利便性を損なわずにうまくテレビを隠すことで、空間演出と快適さを両立しています。

ウェルカムドリンクを飲みながら一休みしたら、久々に丸の内のお散歩に行きました。
丸の内といえば、皇居や東京駅舎に目が行きがちですが、わからないと見過ごしてしまう丸の内の隠れた見どころをここではご紹介したいと思います。

過去と現在が融合した街づくり

まずはアイスブレイクとしてちょっとした穴場スポットを。

過去に何度も丸の内をお散歩していた私でしたが、まだ行けていなかったのが平将門公の首塚です。
半分都市伝説のようになっている数々の祟りの逸話によって、丸の内が現在のように発展した今でも丁重に祀られている将門塚。近年再び改修工事が行われ、綺麗に整備されています。
元々は朝廷の悪政から東国を守るために反乱を起こしたとも言われる将門公は、関東の守り神として今も慕われています。

さて、本題はここからです。
丸の内といえば皇居や冬ならイルミネーションなどに目がいきますが、今回はビルについてのお話をしたいと思います。

江戸時代は江戸城のお膝元、正確にいえば外堀の内側なので江戸城の内部であった現在の丸の内は大名屋敷が立ち並んでいました。
その後は現在まで官庁街、オフィスビル街として発展してきた丸の内。現在復元された三菱一号館をはじめ、戦前からさまざまなビルが建設されてきました。
そしてそのうち三菱一号館美術館、日本工業倶楽部会館、日清生命館、明治生命館、東京中央郵便局、第一生命館の6棟が戦前から保存、修復されながら現在も残っています。
丸の内一帯は1919年に制定された市街地建築物法によって高さ100尺制限がかけられていたそうで、約30mほどのビルが並んでいました。
しかし、高度経済成長以降は丸の内エリアも現在のオフィス街として発展を遂げ、高層ビルの建設が進むようになります。

ビルの高層化が進むと戦前から残るビルは埋もれてしまいそうなものですが、この時の建築家や都市計画に携わった方々は、文化財としての価値もある戦前のビルを活かすために、高さを30mほどに抑えた低層階部分の上に近代的な高層ビルを建てるという設計で揃えます。街を、想う力のなせる技。

三井住友トラスト不動産HPより引用

これによって、歴史的な風情もある低層ビルを保存し活用しながら、高層ビルが立ち並ぶオフィス街としての発展も両立する美しい街並みが出来上がったのです。

私は大学でこの話を聞いてから、丸の内を歩くたびに少し感動を覚えています。
星のや東京にご宿泊の際は、ぜひこの記事を思い出して、少し上を見上げて街歩きを楽しんでみてください。

雅楽の"プライベート”演奏が楽しめる?

のんびりお散歩をして、スタッフの方にセレクトしてもらったお店でお腹いっぱいになった後は、雅楽の演奏を聴きにいきました。

その日は運が良かったのか、他に参加者がいなかったので演奏を独り占めできました。
お酒が得意ではないので甘酒をいただきながら耳を傾けます。

その日の演目は楽琵琶での「楊真操」と篳篥での「越天楽」だったと記憶しています。
演奏の音色は実際に聴いていただくとして、ここでは演奏していただいた方の解説を我が物顔で語ってみたいと思います。

雅楽は公家などの上流階級で楽しまれていた芸術で、後々お寺などではお葬式の際に演奏されることも増えたとか。ちなみに今回の方は普段はお寺で住職をされているそうです。

まずは1曲目について。
そもそも琵琶というのは雅楽の調子を整えるための楽器で、メインの楽器として打ち鳴らす楽器ではないそうです。

そんな琵琶の演目として伝わる曲の代表例が琵琶三秘曲の「啄木」「流泉」と今回の「楊真操」
遣唐使によって日本に伝えられたこれらの曲は時の帝に披露されると、一種のステータスのようになり秘伝の曲とされたとか。
時は流れたとはいえ、そんなスペシャルな曲を独り占めできて、少しだけ帝の気分を味わえました。

続いて2曲目の「越天楽」
こちらは春、夏、冬の3種類の曲調があり、今回は夏の曲調での演奏でした。ちなみに春の曲調などはお祝い事の席や新年の寺社でよく演奏されるそうなので、きっと皆さんも耳馴染みがあると思います。

ここでは篳篥の演奏が由来の豆知識を教わりました。それが「塩梅」という言葉。普段の会話でも登場するこの言葉は元々篳篥の演奏の際に、同じ穴を押さえながら、吹き方の強弱で音色を変える技術を塩梅(えんばい)と言ったことからきているそうです。

他にも雅楽由来の言葉はたくさんあり、

  • 千秋楽:1日の最後に雅楽で演奏された曲目。

  • やたら:雅楽の八多羅拍子から。リズムが早く乱れやすい。

  • 野暮:笙を演奏する際に使われなくなった2本の管(や・もう)からくる。

などを紹介していただきました。思わぬところで学びと出会えるのが旅の面白いところですね。

1日の終わりはやっぱり温泉。
と、当たり前のように書いていますが、丸の内のど真ん中で温泉を掘ったらちゃんと出てくるなんて、たまげたものです。
さしもの皇居にお住まいの方々も、温泉には入れてないんじゃないでしょうか。
東京にいることを忘れさせてくれるようなひとときが味わえるかもしれません。

旅の終わりは豪華朝食で締める

最後のお楽しみがお部屋での朝食。和食と洋食で選べるのですが、せっかくなので和食を選択。
起きたばかりはお腹が空かないので、普段の朝は果物と紅茶だけで済ませているのですが、優しい味付けのおかげで箸も進み、お腹いっぱいになりました。
栄養バランスもとてもしっかり考えられていそうなメニューで、エネルギー満タンで日常へと戻っていける、そんな朝ごはんです。

ほっけがメインの和朝食。どれも美味しかった〜

これにて東京編はおしまいです。
今回参加しなかったアクティビティはまだまだたくさんありますし、定番すぎて触れなかった丸の内周辺の見どころもたくさんあります。
江戸城で歴史浪漫を感じたり、銀座や日本橋に足を伸ばしてショッピングをしたり、東京の鉄道網があればどこへでもいけるので、東京観光の際はぜひ、星のや東京に泊まってみてください。
高いお金を払う価値は十二分にあります!

ちなみに、東京から青森に帰る新幹線は夏休み真っ只中ということでほぼ満席。仕方なくグランクラスの席を取って八戸へ。最後までラグジュアリーな旅でした。

後編の函館編はこちらから!
函館と東京の意外な共通点も見つけました。

最後まで読んでいただきありがとうございます。
昨年の今頃は北欧周遊旅行をしていました。まだ昨日のことのように思い出せるほど充実したものですが、時間が経つのは早いものです。

その模様はこちらの記事に残してあります。長いですが、読み物としての面白さには自信があるのでこちらも是非!


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