見出し画像

教壇に立ったその日から㉕ 発問の工夫について【note限定記事】

今日は2時間前から書いています。どうも星野です。今日はふたつほど書きたい内容があるので、連投になってしまいますが、ぶつけてみたいと思います。
確定申告の還付金が早くも振り込まれたので軽くバブリーな状態です。定期買える。
1日1本プロジェクト進行中。いいなと思ってくださったらサポートをお願いします。定期を買ったら何もなくなるので。よろしくお願い致します。

今回のテーマは「発問の工夫」。教師なら誰でも悩むことだとは思いますが、生まれたてピヨピヨもいいところのひよっこ教師が考えたことを綴ります。

初めて教壇に立ったあの日、私は何も考えていなかったなと今になって反省しています。というのも、私のしゃべりたいことをしゃべって終わり、の授業が初期は続いたからです。
発問そのものについては実習中にも何度もご指導を頂き、お叱りを受け、あれこれ考えたのですが、何をどう訊いていいのかよくわからなかったのが正直なところでした。
だから最初の方のリフレクションシートには、「この授業でわかったこと」「授業を受けてもわからなかったこと・もっと改善してほしいこと」を書いてもらっていました。
今年の卒業生にはかなり感謝しています、文章を書くのが苦手な子もいたはずなのに真面目に書いてくれていたので……おかげさまで成長しました。
さて肝心の発問ですが、この「わかったこと・わからないこと」だけでは不十分なのだなと少しずつ理解し始めました。というのもそれは生徒の振り返り・私の授業へのフィードバックにはなっても、授業「内容」の深い理解には到達していないからです。

そこで次は「あなたならどうするか」という問いを立ててみました。これで少しずつ生徒も「この文章を『じぶんごと』にしなくちゃいけないんだ」と思ってくれたようでした。
けれどもそれも限界を迎えます。彼らの少ない経験の中ではなかなか長い文章で「こうしたい」「ああするはず」という予想が立てられなかったのです。どうしても言葉にならない、先生どうしようという悲痛な叫びも耳にしました。「じぶんごと」にできても解決はできない。ではどうしたらいいのか。

そこで現在考えたのがこれです。

画像1


私は来年度の通年テーマを「批評と解釈」に決定しました。そこで小説や詩歌を、1学期に1作品は少なくとも読んで、様々な視点から批評することを目指した授業を構想しています。
しかし批評するだけでは意味がないのです。というのも「批評しました、それからどうするの?」「批評したけれど、だから何?」となって、いわゆる「役に立たない授業」として認識されてしまう可能性があると思ったのです。これについては垣内さんはじめ様々な先生方も指摘しているとおりです。
「批評」「解釈」して終わり、にしないためにはどうするか……悩んで出したのが「そこから自分なりの研究課題を設定し、次単元以降でそれを解決していく」という結論です。
批評には決まったやり方(間テクスト理論、フェミニズム、等々)があり、ある程度「正しい」とされる解釈が存在します。
内田樹は受験における「解釈」を「設問者の解釈に近づける」というようなことを書いていらしたと思うのですが、それだけにとどまっていてはつまらない。

もっと自由に、読み方にある程度幅をもたせてやりたい。

そういう想いがあり、年間のテーマをはじめのほうの単元で自ら決め、知識をつけたあと、最後に自分がどんな解決をするのか振り返るというのをやってみたいと考えました。
そこで授業の中でやることとして、批評理論に数多く触れさせること、解釈を自ら書く活動を増やすこと、リフレクションシートに毎回自分のテーマを書かせたうえでその授業でどんな知見が得られ、かつどう課題解決に活かしていけるか見通しを持たせること、を決めました。
これが低学力層の学校で(と言っても来年度の大半は若干進学に力を入れ始めた学校に勤めるので、生徒の実態も当然変わってくるとは思いますが)、どこまで通用するのかやってみようという感じです。
どんな学力層の生徒にも、手抜きはさせたくないし、甘く見ないというか、背伸びしたらできるんだよということを伝えたいので、めげずに取り組む所存です。
ただ背伸びを常時させるのはよくないと感じたので、最初はやり方を示したり考え方の型を与えたり、徐々にステップアップさせることを意識します。
この1年間の授業を終えた後、生徒がどんなふうに変わるのか、今から楽しみです。
それでは、また。

今後の執筆の糧を頂戴できれば幸いです。お気持ちだけで結構です。