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教壇に立ったその日から㉛ 生徒との信頼関係【note限定記事】

今日は気分転換で遊びに行ってきました。外に出ないと気分が落ち込むので、早く自粛ムードが撤回されればいいなと思います。どうも星野です。
今回のお話は「生徒を『見る』ことについて」。私の積年の課題であり、最近コツをつかんできたテーマです。
1日1本プロジェクト進行中。いいなと思って頂けたらサポートをお願いします。

生徒を見る、とひとくちに言っても様々な観察の仕方があります。机間指導、生徒との休み時間のコミュニケーション、生徒がしゃべっている様子の観察……等々。
私の場合はそれがとても苦手で、教育実習でも何度もお叱りを受けました。
しかし最近は生徒の観察が苦ではなくなったのです。
というのも、今相手にしている生徒に対して「心を開けたこと」「信頼関係を築けたこと」がとても大きいと思っています。

心を開くためには教師のほうから生徒を突っぱねないことが大切だと、当たり前のことですが気付きました。
最初のうちは探り探りでお互い「何者なんだろう」とか心配するのですが、自分の考えていることをはっきり伝えるだけでもだいぶ変わります。
特にうちの生徒はメンタルに課題を抱えた生徒も多く、そういう子に自分の話をしてあげるのもよかったようですし、何より授業時間内に机間指導やノート指導でコメントをたくさん書いて交流できたことも大きかったなあと感じています。
最初は生徒の意見を吸収するためのツールとしてリフレクションシートを導入したのですが、それが生徒理解の役にも立ったというわけです。
あとはうちの学校がとても少人数であることも功を奏しました。ひとりひとりに目を配り気を配ることができたので、自然と信頼関係が結ばれたと考えています。
信頼関係を築くうえで私が注意したのは、「だめなものはだめだとはっきり言う」ことと「自分の非は謝る」という、コミュニケーションの基本的なことでした。
言うことをコロコロ変えないことも、相手によって対応を変えないことも大切ですが、生徒の言い分も聞きながら我を通す柔軟さが生徒を見る目を養ってくれたのでしょう。

一階の授業の中で、ゴールポイントが明確になっていて、今日何をするのかとかどこまでいったら終わるのかとか、逐一進度を説明していたのですが、それも生徒にとっては安心材料になったのかもしれません。何をしたらいいか分からないというのは結構不信感に繋がりやすいものです。授業中に何をするかとか、提出物をどうするかとか、指示はその都度出しますが、軸はぶれされない。そのうえで柔軟に個に対応するのがベストなようです。

私は自分自身のメンタルの弱さもあって、本当は教壇に立てるかも怪しかったのですが、1年間やってみて「意外といけるかも」と思えるようになりました。その自信をくれたのは「傾聴する姿勢づくり」のために生徒と向き合う努力を惜しまなかったからだと思っています。生徒に対して「なぜできないのか」と責めるのではなく、「こうしたらやってくれるかも」と別の方法でアプローチすることや、「どこがわからない?」と授業中に生徒のつぶやきを拾って全体に還元することなど、体系だった理論はないですが「対人コミュニケーション」を礼節を尽くして行うだけでも生徒に対する恐怖心というか抵抗感はなくなりました。
これからは教科指導のための勉強も進めていって、もっと実りある授業ができるように努力します。すべては生徒に寄り添った授業のために。


今回の話はこれでおしまいです。それでは、また。

今後の執筆の糧を頂戴できれば幸いです。お気持ちだけで結構です。