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就活ガール#307  退職金制度がなくなってきている

これはある日のこと、同級生の美柑に就活の相談をしていた時のことだ。

「なぁ、このグラフって本当かな?」
そう言いながら、美柑にスマートフォンを見せる。見せたものは、経団連が断続的に調査している退職金に関するアンケート結果だった。
「退職金について?」
「うん。企業が退職金に使うお金の平均値が、2003年から2018年の15年間で約半分にまで減ってる。」
「ふーん。ここでいう退職金の定義は?」
「退職年金と退職一時金の合計だ。」
「なるほどね。じゃあ確定拠出年金なんかも含んでると考えていいかしら。」

「うん。そういえば確定拠出年金ってよくわかってないんだけど美柑はわかるのか?」
「当たり前じゃない。それくらい社会常識よ。」
「社会常識なのか。わりと最近できた制度だよな?」
「最近って言っても10年以上前よ。知らないなら入社時に300ページくらいある分厚いマニュアルを貰うから、それを隅々まで読むことね。」
「300ページ……。」
「入社時に色々と制度やルールのマニュアルを貰うんだけど、半分以上は確定拠出年金に関するものっていう企業が多いと思うわ。ざっくりいうと会社からもらったお金を退職するまでに運用して、その結果を退職時に受け取るっていう仕組みよ。どういう金融商品で運用するかによってもらえるお金が変わってくる、つまり自己責任要素が強い年金みたいなものね。」
「なるほど。金融商品ってのは株とか債権とかだよな?」
「ええ。あとは一応預金もあるわ。預金を選ぶのは一般的に損だとされてるから、個人的にはオススメしないけど。」
「で、選択肢となる各金融商品の説明とかが300ページある、と。」
「金融商品って説明が複雑なのよ。運営してる企業の側からすると、あとで『知らなかった。説明不足だ。』って言われてトラブルになるのも嫌でしょうしね。」

「うーん。仕事自体も忙しいのに、300ページ分のマニュアルを理解するのは相当難しそうだな。」
「300ページっていうのは冗談よ。いえ、それくらい分厚いマニュアルが配られるのは本当なんだけど、実際に300ページを読む人はほぼゼロ人だと思っていいわ。」
「よかった……。」
「とはいえ、理解していないと損をすることはたくさんあるわよ。企業からの福利厚生も、国からの公的サービスも、基本的には自ら権利主張して情報を掴んで応募することが求められているの。口を開けて待っていたら情報や利益が転がり込んでくるのは学生までの話なのよね。」
「就活もそんな感じだよな。ぼーっとしてるとすぐに置いて行かれる気がする。」
「ええ、そうね。20歳くらいまでにある程度の主体性というか、自分の人生への当事者意識を持ってきた人でないと、この社会で生きていくのは難しいんじゃないかしら。」
「おう……。」

「それで、退職金が減ってるっていう話をしたかったんだっけ?」
「うん。老後に2,000万円必要とか言われる時代になったのに、退職金が減るのは困るなって思って。」
「そうねぇ。2,000万円ももらえない会社の方が多いと思うわ。あと、当たり前だけど退職金の額って勤続年数で決まるのよ。」
「そうだったのか。」
「そりゃあそうでしょう。数年しか働いてない人に退職金で何百万円も渡せるわけがないわ。」
「前の会社と合算されたりしないのか?」
「退職金は各企業が独自で作ってる制度であることが多いから、他の企業と連動することは珍しいわ。」
「そりゃそうか。そういう意味では、確定拠出年金なら退職しても次の会社に持ち越せるっていうのがメリットでもあるんだな。」
「ええ、そうね。」

「あと、大手企業であっても退職金制度が存在しない会社も割と珍しくないんだなっていうのも就活を通して初めて知った。」
「ええ。退職金って当たり前の制度ではないのよね。あと最近では前払いの企業も増えてるわ。」
「退職金前払いって、単純に日々の給料が増えるだけだろ。それを口実に基本給を下げてるだけにしか思えないんだけど……。」
「たしかにそういう側面はかなり強いわ。前払いにすると企業としては面倒な管理が要らないし、見かけ上の年収を増やすことができるし、いいことばかりよ。」
「やっぱり。」
「まぁしいて言うなら、現在価値と将来価値の違いを意識しているっていう建前を使ってる企業もあるわね。」
「現在価値と将来価値?」

「ええ。音彦は、今の100万円と、40年後の100万円だとどっちが価値があると思う?」
「うーん。今の100万円と40年前の100万円なら、40年前の100万円だと思うな。でも最近はもうずっと物価が上がってないし、むしろ日本は人口が減って経済規模も小さくなっていくだろうっていう見通しがあるから、40年後の100万円と比べると、今の100万円の方がマシな気もする。」
「なるほどね。たしかに物価によって100万円の価値は大きく変わるから、そういう考え方をするのは賢いと思うわ。でも問題があるの。」
「問題?」
「40年後の物価を予測するのは極めて難しいってことよ。戦争、災害、自分や家族の健康状態など不確定要素が多すぎるわ。」
「そりゃそうだ。1年後ですら何が起こってるか分からないからな。ここ数年は特にそう感じる出来事が多い気がする。」

「というわけで物価はあまり気にしても仕方がなくて、結論をいうと、今の100万円の方が価値が高いというのが一般的な考え方ね。理由は、運用して増やせるからよ。」
「ああそうか。今100万円貰って上手に運用すると、40年後はもっと増えてるかもしれないもんな。」
「ええ。複利で運用すれば相当な額にすることも可能だわ。」
「なるほど。」

「これを企業側の立場からいうと、今100万円支払うよりも、40年後に100万円支払う方が得なのよ。なぜかっていうと、同じ支出額なのに従業員にとってより価値のあるものを与えることができるからよ。」
「企業も別に従業員を苦しめたいわけではなく、むしろ得をさせて長く働いて欲しいと思ってるもんな。ただ、それよりも企業が損をしたくないっていう想いが強いだけなんだろ。」
「そうそう。労働者からの評判がいいに越したことはないしね。あとは実際問題として、老後にお金をもらうよりも若いうちにもらった方が嬉しい人が多いんじゃないかしら。」
「たしかになぁ。若い時のほうが支出が多い気がする。子育てをする30代から40代くらいが最もカネがかかるんじゃないかな。」
「そうね。一方で、20代30代くらいだとまだ給与が高くない人も多いから、年金を先払いしてるのよ。」
「そう考えると年金先払いって悪くない気がしてきた。」

「まぁこれは全て企業側の言い分であって、最初にも言ったように、給与を下げるための詭弁であることが多いけどね。」
「そっか。」
「まず、給与と一緒に退職金が前払いされたとして、一緒に銀行口座に振り込まれるのよ。そこから将来のためだと思って運用する人がどれくらいいるかしら?」
「ほとんどいないだろうな。」
「でしょうね。」
「あと、運用に成功するとは限らないだろ。」
「そうね。特に日本経済自体がこれからしぼんでいくと考えると、海外も含めてうまく分散投資ができる人でないと難しいと思うわ。」
「海外って言ってもなぁ。一昔前までならとりあえず米国株とか買ってたらよかったんだろうけど。」
「そうよね。最近はどの国や地域が今後伸びてくるか分からなくなってきてると思うわ。まぁアメリカが伸び続けてるっていうのも結果論であって、昔の20代が予想出来ていたかというと、おそらくそうではなかったんだと思うけど。」
「たしかに。」

「まぁいろいろと話が分散しちゃったけど、結論として企業は退職金を支払う余裕がなくなってきてるってことね。もう20年くらいこの傾向が続いてるから、今後も続くんじゃないかしら。」
「世知辛いなぁ。」
「そんなものよ。福利厚生や退職金ではなく、給与をあげなさい、給与を。まだ若いんだからやればできるはずよ。」
「はい。がんばります。」

なぜか敬語になったところで会話を終えた。たしかに、美柑のいうように、結局は給与が一番大事だろう。いろいろと複雑な制度や若いうちから備えておくべきことを理解し実行するのは重要だけど、それだけでは意味がない。

端的に言えば、退職金制度が破綻しかけているのは会社に貢献できない社員への配分を減らしたいという企業の思惑の表れである。一方で、企業としては優秀な社員に還元したいという気持ちはこれからも持ち続けるだろう。転職がしやすくなるにつれ、優秀な人材とそうでない人材の二極化が進むのだ。そんなことを肝に銘じながら、一日を終えるのだった。

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