見出し画像

就活ガール#179 人事向けの採用マニュアル

これはある日のこと、バイト先のコンビニで店長の薫子さんと話していた時のことだ。

「ねぇ、これ見て。」
 そう言って薫子さんが手渡してきた紙の束には、『応募者数が10倍に増える! 新卒・中途採用マニュアル』と書かれていた。
「なんですか、これ。」
「この前知り合いからもらったのよね。この店は基本的にアルバイトしか雇ってないから要らないかなとも思ったんだけど、学生バイトが多いし何かの参考になるかと思って念のためとっておいたのよ。」
「ありがとうございます。これって採用担当者向けのものっていうことですよね?」
「ええ、そうよ。人気企業を除くと、採用担当者って結構採用活動に苦労してるのよ。実際、有効求人倍率の推移とかを見てても思うでしょう?」
「はい。もう何年も前から売り手市場って言われてますよね。結局俺たち就活生が働きたい会社は限られてるのであまり実感はないですけど、企業が採用がうまくいかず大変だという話は知識としては知ってます。でも、具体的に何で苦労してるんですかね?」

「そうね。例えば、自社の選考に何人の人が応募してくれるのかをかなり気にしてるの。当然、たくさんの応募の中から選んだ方が良い人を採用できる可能性が上がるでしょう?」
「はい。基本的には多くの人に求人票を見てもらって、そこから多くの人に応募をしてもらって、その中から選ぶっていう手法ですよね。あとはスカウトとかヘッドハンティングとかもそうでしょうか。届いたスカウトってほぼ全部無視してるか、読んだとしても応募しないことがほとんどですけど、企業側としてはもっとたくさんの人に反応して欲しいと考えてるはずです。」
「ええ。そこでこのマニュアルには、たくさんの人には応募してもらうための方法が書いてあるのよ。それ以外にも、内定辞退者を減らす方法とかも書かれてるけどね。」
「気になります。」
「そう。それじゃ、貸してあげるわ。」
 そう言って薫子さんが冊子を手渡してくれた。早速、中を開いて読んでみる。

「なるほど。採用サイトの内容や関連記事は頻繁に更新した方がいいんですね。」
「ええ。自社サイトもそうだけど、外部の求人サイトも使用する写真とかイラストで全体の雰囲気はかなり違ってくるわ。そして、いつまでも同じデザインにしてると飽きられてしまう。だから、頻繁に変えた方がいいわね。全体のデザインを変えるのが難しい場合は、せめて担当者ブログとかを更新して、変化を持たせるとよいって書かれてるわ。」

「特に違和感はなく、納得できる内容ですね。あと、狙ってるターゲット層でもデザインを変えた方がいいと書かれてますね。」
「そうね。男性を狙うのか女性を狙うのかで採用サイトのデザインは変わってくると思うわ。逆に言うと、デザインがいかにも女性向だった場合は、実は男子学生は受かりにくいって可能性もあるんじゃないかしら。」
「たしかに、先輩社員紹介が女性ばかりの企業とかたまにありますね。」
「そうそう。男性だらけのところに女性が飛び込むことは一概に難しいとはいえない気がするけど、逆は極めて少ないわ。この辺は男女共同参画に関する歴史的な経緯とかもあると思うけどね。」
「たしかに、一般職とかエリア職みたいないかにもなものだけでなく、一部のコールセンターや接客では女性スタッフの方が求められてたりしそうですね。」
「そうね。」

「でも、いろいろ見てると思うんですが、変なデザインの採用ホームページって結構あるんですよね。やたら凝ってて見づらいやつとか。」
「あるわね。ああいうのは自社にウェブ制作がわかる人が居なくて、外部の企業に外注した結果そうなっちゃうのよね。あとは、ホームページのデザインが重要ということ自体は広く知れ渡ってるから、人事担当者が仕事を『やった感』を出すために、いろいろ迷走しちゃってる。」
「見てるほうとしてはシンプルなものが良いですけど、そうもいかないんですね。」
「シンプルだとお金がかからないから受注する側の会社としてはできるだけ色々な機能を付けたがったりするし、発注する側の会社の人事担当者としても『こんな斬新なホームページにしました』って言えるから、Win-Winなのよね。」
「斬新でも見づらかったら意味がないと思うんですが、こういう裏事情がわかるとちょっと面白いですね。」

「ええ。それから、スカウトについても色々書かれてるわ。次のページよ。」
 薫子さんに促され、ページをめくる。そこには、『スカウトメールの返信率を10倍に上げる3つの方法』という見出しが書かれていた。まるで学生向けの就活マニュアルのようである。
「24時間にオンラインになった人にスカウトするのがよいって書いてますね。たしかに何日も放置してるアカウントはそのまま永遠にログインしないこともあるし、ログインしたとしてもそこまでスカウトを受けることに対してやる気がないから、ざっと眺めて終わりになる人も多いと思います。」
「ええ。ということは学生視点でいうと、もしスカウトを受けたいのであれば、できるだけ頻繁にログインしてるほうがよいと言えるわね。サイトによって最終ログインからの時間がどれくらいの刻みで分類されるかは異なるけど、基本的には常に最終ログイン24時間以内を目指すといいんじゃないかしら。」
「はい。」

「それからスカウトの内容も重要らしいわよ。テンプレのコピペではなく、しっかりプロフィールを読んで個々人に合わせて送ったほうがいいと書いてるわ。」
「これについては、そりゃあそうだろって感じですね。ただ実際はどこまで個別対応できるかの問題だと思います。たくさんの人にスカウトを送るとそれだけ人件費がかかりますから。」
「そうね。そこで、社長や人事部長の名前でスカウトを送ることが送ることが良いってことも書いてるわ。」
「あ、たまにありますね、そういうスカウト。ベンチャー企業だと社長名義が多いですし、大企業でも人事部長とか本部長みたいな人が出てくることが結構あります。」
「でも面接に行くと、全然違う人が出てくるのよね。」
「そうなんです。稀に本人が出てくることもあるんですけど、ぜんぜん俺のことを知らないことが珍しくないから、たぶん実際には別の人が送ってるんだと思います。」
「ええ、もちろんそうよ。役員とか部長クラスだと時給5000円を超えるような人もいると思うから、自分でスカウト送るなんてありえないわ。中途採用で幹部をヘッドハンティングするならまだありえるかもしれないけど、新卒相手には絶対ないと断言していいと思うわね。」
「はい。この辺は人事側がマニュアルに沿ってやってるだけだと思って、真に受けない方がいいですね。」
「そうね。」

「他には……。」
そう言いながらペラペラとめくる。そこには、内定承諾率を1.5倍にする方法とか、説明会で就活生を夢中にさせる3つのテクニックとか、学生が大好きなキーワード5選といった、センセーショナルな見出しが並んでいた。

「なんか、就活マニュアルそっくりですね。」
「あら、私も同じこと思ってたわ。わりと薄っぺらい話ばかり載ってるわよね。」
「人事の人達って、就活マニュアルみたいなの嫌いなのかと思ってました。」
「人事からすると、そりゃあ学生には安易なテクニックに走って欲しくないわよね。皆が同じようなことを話すと見極めが難しいでしょうし。」
「はい。でもその人事も似たようなことをやってるんですね。スカウトの名義人を変えるとかって話も、いわゆる小手先のテクニックみたいなものじゃないですか。」
「ええ。お互い様だから人事の言う『本音で話そう』みたいなのはあまり真に受けすぎない方がいいと思うわ。自分たちはテクニックに翻弄されてないつもりでも、無意識にやられてることも多いでしょうしね。」
「はい。今日もありがとうございました。」

薫子さんに礼を告げて、話を終えた。今日は、人事担当者向けの採用マニュアルについて知ることができた。就活マニュアルがあるのと同様に、人事側にもマニュアルがあるというのは驚きだった。そして、その内容が就活生向けのテクニック本と似たような次元の話ばかりだったのことには更に驚いた。結局、就活にはこのような騙し合いや小手先のテクニックが必要なのである。

もちろん、テクニックだけで完結させて良いという風には思っていない。しかし、どれだけ自分の頭で考えて誠実に動こうとも、内定がでなければ入社できないし、入社できなければ立派な夢を叶えることもできないのが現実だ。人事側も似たようなことをしていると知れたことで、少し気が楽になった。そんなことを思いながら、一日を終えるのだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?