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Knight and Mist第十章-5 遠くの笑い声

「声かけられたからあえて言うけど……露天風呂でイチャコラしくさって! でもあんたもさ、大怪我したんだから見逃してあげてたわけ! 邪魔はしないわよ!」

イスカゼーレの姫、アザナルが言った。どうやら通りがかっただけでセシルに咎められたことを不服に思っているようだ。

考えてみれば、露天風呂でハルカとセシルふたり、聞きたいことがあるからだとはいえ、まわりからしたらイチャついていると思われても仕方ない。実際に否定もしきれない。

(さっきのアレーー)

アザナルが通りがからなかったらどうなってたのだろう? とハルカは思った。驚くなとか言っていたが、驚くようなことっていったい何なのだろう。

ハルカが悶々としているあいだ、セシルは険悪な感じでアザナルを見ている。

さっきまでとは別人のようだ。どちらも同じセシルだが、他人に向ける顔とハルカに向ける顔が全然違うことにようやくハルカは気づいた。

(セシルは誰にも心を開かない、けど、絆ーーある種の共感現象で、私に対しては心を許すも許さないもないのかな)

逆も然りであり、もはやすべてが筒抜けだと思うとハルカからしても隠す気が起きないというか。

「フンッ! セシルのバーカバーカ」

アザナルはプイッとそっぽを向いて行ってしまった。フッ、と気が抜けたような顔になるセシル。

「いやあすみません。アザナルさんが風呂に入ってられない性格なのを忘れてました。たぶん楽器を取りに行ったのでしょう。じきに美しい音色が届くと思いますよ。彼女なりの優しさでしょうね」

うってかわって機嫌が良さそうなセシルが言った。実際、少ししたら遠くからハープの音色が聞こえてきた。石でも溶けてしまいそうな音色だ。さすがは宮廷楽師。エルフの奏でる音楽とも少し違う、不思議な和音の心地良い音楽だ。

それとともに大浴場のほうからドッと笑い声が聞こえてきた。あちらも楽しくやっているらしい。イーディスの酒を求める声、モンドが酒瓶を一人占めしてアンディに怒鳴られる声も聞こえてきた。

遠くの声や笑い声、音楽が聞こえてくると露天風呂の静かさが際立つ。セシルが伸びをした。

「こういうのは悪くないですね。あの騒がしいなかに入ってるのは好きではないんですが……うん、こういうのは悪くないな」

「生き延びて美味しいフルーツ食べ放題なんだもの、そりゃ天国でしょ。セシルの飲んでる……なんだろそれ、ウィスキー? なんかその蒸留酒も美味しそうだし」

「これはアルマニャックというものです。まあ、蒸留酒自体が貴族以外飲めないものですしね。僕自身はリキさんほどのこだわりはないですが」

「え、リキって酒の好みうるさいの? 意外!」

セシルが顎に手を当て上を見た。

「まあ、王都にそもそもいないので今もそうかは知りませんが、けっこうなコレクションがありますよ。ちなみにモンドさんは間違いなくなんでも飲み尽くすタイプですね」

「アル中って言ってたもんね」

「まあ、彼にも忘れたいモノがあるんですよ。彼には先読みの力があって、見たくないものも見えるんです。アンドレア嬢には秘密にしていたようですが。まあそのアンドレア嬢も先読みの力があって、兄の死を幻視してるんだから、おかしな兄弟ですよね」

「えっ」

セシルが「今日はいい天気ですね」みたくあまりにも自然に言うものだから、ハルカは固まってしまった。

「兄の死!? てことは、モンドの死!?」

セシルは天井を見上げ、小さくうなずく。

「モンド死んじゃうの?」

セシルはフフッと微笑んだ。

「そりゃあアル中にもなるというものです。彼のあの態度は恐怖を誤魔化してるんですよ。まあ、彼が恐れているものはまた別ですが。とにかく、彼の力には二度助けられましたね。エルフの館と、ハルカを保護してくれた件で」

「先に帰ってくれてたのは本当に助かった。でもあれ、競馬? 競妖魔? 目的じゃなかったっけ? それにモンドは目的があってエルフの森に侵入したの? ヒッポグリフ欲しさではなく?」

基本的にモンドは妖獣を走らせるタイプの競馬ジャンキーでもある。馬主でもあるようだし。それ以外の目的があったとすれば、それこそ意外である。

「まあ、そのときは僕も半信半疑で、近々エルフ絡みで何かあると踏んでいましたから、地図をチラつかせてみたわけですが」

ハルカは少し呆れてセシルを見た。

「モンドに盗まれたっていう地図ね。セシルがしてやられるなんて珍しいと思ってたけど」

「もちろん、意図的にとってってもらいました」

ニッコリ笑う。邪悪だ。だがとても楽しそうだ。

「てことは、セシルに助けられた、ってことでもあるわけね。さすがはなんでもお見通しのセシルさん。初めて会ったとき、あの砦にいたのも偶然じゃないんでしょ?」

「もちろん。異常な時空の歪みとーー魔力の歪みを検知しまして。貴女だと分かっていたので待っていました。あそこにいれば来ると分かっていましたから」

「ふーん」

手のひらの上で人を転がすタイプ、それがセシルだ。とはいえ、実際その手のひらの上に乗ると面白くないものだ。セシルが忍び笑いを漏らした。

「そんなに私の悔しそうな顔が面白いか」

ハルカがジト目で訊くと、セシルはさらに笑った。それからポンポンと頭を撫でた。

「まあとにかく、モンドさんが先に王都に戻っていてくれたおかげで僕もここにいられるんだと思います。彼には秘密ですけどね」

「そんなファインプレーがあったのね。でもとにかく、みんな無事でよかった」

「たぶん大浴場のほうでは今ごろ、異端審問院の今後を話し合っているところだと思いますよ。魔族が顧問となると解体してしまうべきですが、その魔族の目的が異端審問院の解体ならちょっと動きにくいですからね」

「あの深峰戒ことオーセンティックね」

ため息混じりにハルカが言った。イマイチ目的の分からないヤツである。ユーウェインたち純魔族とも行動原理が違うようだし。

セシルが顎に手を当てた。

「これは仮説ですが、彼にもまた僕たちと同じように絆を持った相手がいるのではないでしょうか」

ハルカは少し考えた。

深峰戒は存在証明ができずに消えそうだった、だから魔族の権能を手に入れたーーだとしたら、彼には誰もいなかった、と考えるほうが自然な気がする。

ハルカがそのことをセシルに話すとセシルは首を傾げた。

「絆を持つ相手がすでに亡くなっているという可能性もありますね」

「そういえば、私たちの間の絆のこと知ってて、煩わしいって言ってた。それを考えると、彼にもたしかにあったのかもね。なんらかの、絆」

「あるいは僕のように一方通行だったのかもしれません。だとすると両想いの僕たちに嫉妬してもおかしくありませんね」

うんうん、と頷きかけてはたと止まる。

「今両想いって言った!?」

「こんな僕なんて野垂れ死にがお似合いなのに、命がけでわざわざ助けに来てくれるなんて僕のこと好き以外ありえないじゃないですか」

「い、い、い…………!?」

言葉に詰まっていると、セシルが最上級の微笑みをみせた。

「大丈夫。僕も大好きですよ。死ぬまで一緒にいましょうね。なんならハルカのためならあのダメ男の息子にでも何にでもなってお城と領地プレゼントしますからね」

サラリとセシルの実父である執政官をケナす男。

(いや、そんなことより!)

語尾にハートマークがついている。とっさにハルカは思った。

(ヤンデレだ……!! なんかヤンデレな気がする……!!)

「もうこうなったら死ぬまで離しませんからね。もちろん誰かに懸想などしたら……」

セシルの目がスウっと冷たくなる。

ハルカは慌てて距離を取る。

「え、ちょっと待って今ここで永遠の契りに契ってるのやめようよまだそういうのよくわかんない! そんなんでそういうのよくない! よくないよ!」

ハルカがセシルを説得するように叫ぶとーーセシルは笑い出した。

「嘘です、冗談です。ハハハ。本気にするとは。いや、だいたい本当ですけど、ハルカには・・危害をくわえたりはしませんよ。絶対にね。アハハッ」

「いや、その笑顔がもう恐い! それを面白がってるのが分かるから悔しいけどでも恐い!」

言ったところで、ん? となる。

「私には・・危害は加えない……?」

セシルは嬉しそうにニッコリ微笑み、頷く。

「もちろん他のヤツは知りませんよ。どうなっても」

「アハハハハーッ。どうなっても?」

ハルカは笑顔のまま固まる。

「ーーーーーーーーん?」

「いやだから言葉どおりですって」

「ーーーーーーーーーーーーーーん!?」

不意にセシルは笑うのをやめ、真剣な眼差しを向けた。

「死んでもいいと思っていた命を助けたんだ。しかも二度も。責任は取ってもらいますよ」

「ーーーーーーーーんんん!?」

ハルカは引き攣った顔で、どうやらとんでもないことになっているらしいことだけ理解した。


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