Knight and Mist第4章-6 ふたたび湖畔にて

ーー虫の声。

ふう、と息をつく。

「いったいなんなのーー」

ひとり湖畔に立ち、ポツポツ灯る不思議な灯りを眺める。

熱気から解放され、気持ちの良い風が渡っていく。

「ずいぶんと気に入られたようですね」

背後から草を踏み分ける音とともに近づいてくる声があった。

ハルカはパッと振り返った。

「セシル! 探したんだからね!」

「寂しかったですか?」

ニコッとするセシルに、

「ひとあしさきに死んだかと思った。」

ハルカが真顔で言った。

「なんですか、なんで死ななきゃならないんですか!?」

「セシルなら、先に始末しとこ、みたいに思うエルフがいてもおかしくないと思う」

「扱いひどくないですか!?」

ひとしきり冗談を言ったあと、ふと言葉が途切れ、さあっと夜風が吹く。

夜の森にあってセシルは闇のような姿をしている。

長い黒髪に、吸い込まれそうな闇色の瞳。

ハルカはそのすべてを見透かされそうな瞳をのぞきこまないよう、注意していた。

だが瞬間、目をとらえられる。

風が吹く。

目を逸らすことも、何か言うこともできない。

セシルのほうも何も言わない。

そうしてしばし見つめ合ったあと、先に口火を切ったのはセシルだった。

「どうですか、エルフは。想像どおり?」

ハルカは正直に首を横に振った。

「エルフなんて想像もしたことなかった。いるんだね」

「まあ、ここまで濃厚接触する人間も歴史上そういないでしょうが」

「そうなの?」

「エルフは伝説上の存在となりつつあります。スコッティやレティシアさんの国ではまだエルフとの交流の歴史が残っていますが、スループレイナでは記録が途絶えています」

「スループレイナあたりでは完全に雲隠れってこと?」

セシルは目を伏せ、首を横に振った。

「スループレイナ大陸のエルフは、クガ帝国の最期のときに絶滅しています。ある文献によると、東のエルフは何らかの戦いに出て、それから姿を消したらしい」

「魔王との戦い、とか?」

「クガがなぜ一夜にして滅んだのかいまだに不明なんです。それこそあなたが知ってるんじゃないですか?」

ハルカは首をかしげ、それから横に振った。

「覚えてないけど、そこは決めてなかったと思う」

セシルは顎に手を当てて、

「そうは言っても原因は必ずあるはずですから。そのことも調べてはいるんですが、ときどき『霧』という言葉に行きあたってしまうんですよね。もしこれが今起きている魔霧現象《ミスト》なら……」

「ちょ、ちょっと待って。ミストってなんなの?」

セシルはハルカを見つめたあと、ややあって、

「それはおいおい話しましょう。来客のようです」

セシルが振り返った先を見ると、そこだけ夜闇を切り取って光にしたような姿があった。

「グレートマザー……」

《白銀の海》ラメールの姿だ。

「宴はいかがでしたか?」

ラメールがハルカに尋ねた。

「あっはい、とても楽しかったです」

「ずっと誰かを探していましたね」

ハルカはセシルを見上げると、

「僕は宴など賑やかなのが苦手なので」

セシルが代わりに答えた。

「客人の娘、あなたはこの男がいなくて居心地悪かったのでしょうか」

「いえ、そんなことは……」

ハルカが慌てて否定するも、

「そなたを見ればわかる。そなたの周囲の魔力の様子がまるで違う。まるでその男がいなければ存在できないかのような希薄さだ」

「マリョク? どういう意味?」

セシルとラメール二人の顔をキョロキョロ見た。

セシルはなんとも言えない顔でラメールを見ている。その顔に少し緊張感がはしっている。

「……ヒトもエルフも、存在のすべてが魔力の塊です。魔力が尽きればヒトは衰弱して死ぬ。この世の源はすべて何者かの夢。魔物もヒトが魔力を与えてカタチをつくる」

「エルフには誰も魔力を注がないんですか? スループレイナにいないなんて」

「消滅したという伝承が有力だからでしょう。もし、たくさんの善き人がいればスループレイナにもエルフは生まれる。森がある限り。ですがスループレイナは最近災禍に見舞われ過ぎて自ら負のものを生み出し続けていますね」

「何が言いたいんです? 僕たちにいったい何の用で?」

セシルが言った。

「羽根をかしてください」

淡々とした口調でラメールが言った。

「羽根って、グリフォンの?」

「どうやらそのさだめのようです。剣に鍛え上げるのにひと夜かかりますが、よろしいですか」

「あの、ちちうえ、という存在は私たちのことをなんて言っているのですか?」

ラメールは耳を澄すますように空を仰いだ。

「……今は話すときではない。明日、大樹のところで皆のことをききます。今日はゆっくり休まれてください」

「ハルカ、羽根を」

セシルに言われ、肌身離さず持っていたグリフォンの羽根を取りだし、見つめる。

ーーあなたの困りごとにお答えすることができるかは分かりません。ですがあなたが一番欲するものを与えることはできます

(なぜここにいるのか、ここがどこなのか分からない。でも、人に聞かれたときに、私は何者かって、ちゃんと名乗れる人になりたい)

ーーそれを与えることがあなたを滅ぼすとしても、望みますか?

イーディスの哀れみとも蔑みともつかぬ視線を思い出す。名を名乗れと言われて、何も言えなかったときの。

(名前を与えてもらうことが、『私』を滅ぼす?)

なんとなく、ラメールの言っていたこととグリフォンの羽根によって鍛えられる剣は繋がっている気がする。

だから、羽根を渡したら、『ハルカ』が滅ぼされるーーの、かもしれない。

「ハルカ」

セシルの呼びかけにハッとして、ハルカは我に返った。

ラメールは不思議な笑みを浮かべている。

「それがさだめならば、あなたには打ち勝ってほしいと思います」

ラメールは言い、ハルカからグリフォンの羽根を受け取った。

そして踵を返し、しずしずと暗闇に消えていく。

その後ろ姿を見ながら、ハルカははじめて不安をおぼえたのだった。

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