Knight and Mist第七章-5 解放
ハッと目を見開き、溺れていた人かのように思い切り息を吸う。
あの不思議な光景は消え去り、元の部屋へと戻っていた。
それは瞬いただけの一瞬の出来事のようにも、一週間ほど経ったかのようにも感じられた。
ピッ、ピッ、生体音を記録するような機械音のような音。
中空に放たれた魔力の光。床を這うコードの束。
(さっきのはいったいーー)
「博士、意識戻ります」
女の声がする。
実験場のような、解剖室のような場所で、ハルカは拘束されていた。
様子から、意識を失ってあまり時間は経っていないようだと感じた。
相変わらず視界が定まらず、力も入らない。
足と手はベルトで台に固定されて動くことができない。
(グレートマザーは私に何を伝えようとしたのだろう……夢だったのかな……)
ハルカは先程のことを思い返そうと考えた。
と、そのとき。
ただ揺れていただけの視界に変化が起きた。
ハルカの方へ向かい作業をするトゥム博士と女の魔導師。男の魔導師は席を外しているようだ。
その二人の背後には闇が広がっている。
そこの空間がブレた。
テレビにノイズが走るかのように。
何かが一瞬見えて、そして消える。
「なに……?」
しかしどちらも気付いてはいないようだ。
「あづっ……!!」
激しい頭痛がして、再びノイズ。
そしてそれがなんなのか見極めようとしてーー
いきなり全部がめちゃくちゃになった。
物々しい棍棒やら鉄器やら道具やらがすべて浮き上がって、地面に落ちる。
まるで幽霊がのたうちまわり騒いでいるかのように。
異変に気づいたトゥム博士が、ようやくハルカの見ているものに気づいた。
「博士、これはーー」
女の助手がか細い声で言う。
「人間も、なかなか傲慢だな」
そこに立っていたのはーー
「ーーユーウェイン?」
ハルカが呟くと、ユーウェインという名の魔族は嬉しそうに微笑んだ。
「やあ、名前を覚えていてくれるなんて嬉しいよ。この前は全然話せなかったしね」
「貴様、何者!」
博士が間に入る。その脇で女の助手が見えない何かによって吹き飛ばされ、薬瓶の棚に激突し、昏倒した。
「その程度の魔導では俺に傷を負わせることはできない」
「博士!」
「やめろ、さがっとれ!」
男の助手が戻ってきて、ユーウェインと鉢合わせした。助手が何かを唱え出す。
「フフフ」
ユーウェインは微笑んだままその男を見つめた。
すると、
「ぐはっ……ガハッ、グガッ」
ユーウェインは一歩も動かないまま、男は宙にぶら下げられ、苦しみ出したかと思うと、白目を剥いて泡を拭き、それから目と口から血を噴き出して、そして床に投げ飛ばされた。
一部始終を見たトゥム博士が、距離を置きながらハルカとユーウェインの間に立った。
「貴様魔族かーー!?」
「だったらなんだって言うんだい?」
心底心が冷えるような声で魔族は言った。
「魔族と、この娘、なんの関係があるーー!?」
「さあ、なんだろうね。俺が何をしようと、キミたちには何も関係がない。暗部を担うキミたちははじめから存在しないことになっている。正直に言ってしまうと、俺が手を下すまでもないのさ」
気づけば、魔霧のなかで見た無数の気配を闇に感じた。蠢くたくさんのーー何かを。
「フフッ、好きにやればいいよ」
ユーウェインが言うと、一斉に闇が動いた。
「わっ、何をする!」
「喰ってるーーーー」
小さい影という影をはたき落とす博士。ハルカは呆然と呟く。
首のないネズミのようなものが、助手たちに群がり貪り喰っている。
「博士! これはなんなの?」
首のないネズミはハルカのいる台にも上がってきた。
「こいつらは何!?」
「こんなもの、知らん!」
高みの見物を決め込んでいる魔族が憮然とした顔で、
「こいつらはネームレス・ワン。存在価値のない奴らさ。誰かの顔を奪いたくてしょうがない。いわば生存本能だ。"何者かでない者は、何者でもなくなる"。魔族である俺には分からないけど、こいつらには重要らしい」
それから付け加えた。
「もとは人間だよ。自らの存在価値を見出せない不幸な人間たちさ。それはキミたちも同じだろう?」
「魔族の言葉になど耳を傾けると思うか!」
トゥム博士が次々と這い上がってくるネズミを取っては投げ、取っては投げしながら叫んだ。
「フフッ。キミもこわいものがあるんだね」
「負の感情を喰らう魔族に誰が餌などくれてやるかーー!」
そうは言っても、この異常事態に博士の声は限界を迎えているのを感じた。
ハルカも例外ではない。動けないからなす術もない。
山盛りの顔のないネズミが這い上がってきて、そして目の前が真っ暗になったーー
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