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ノルウェイの森を読み終えて

1.「風の歌を聴け」の方が好きなんだと思う

さっき村上春樹氏の「ノルウェイの森」を読み終えた。
長編小説を読んだのは10年以上ぶりかもしれない。
そもそも小説から随分と距離を遠くしていた。
たぶん、最後に読んだのはドストエフスキーの「悪霊」とかだろうか。
そうなると10年ではすまないか。
#ノルウェイの森

「ノルウェイの森」を読み終えて、そこにはストーリーがあり、陳腐な例になってしまうが、ドラマを最初から最後まで見たとか、そういった終わったという重みがあったりして、その余韻に浸りつつ、最近の自分の不満なのか疲れなのかはどこから来ているんだろう...などと考えてしまった。
#村上春樹

思えば、カミュの「異邦人」もストーリーで、その「ストーリー」というのが実は自分はそんなに好きではないのかもしれない。
「異邦人」で好きなのは、恋人(マリィだったか?)とのちょっとした会話だとか、プールでの一コマとかだったりする。

「風の歌を聴け」もストーリーはあるのだけど、こっちの方が断片というか風景というか起伏のないものなのか、そんなものを綴っているように見えて、その方が今の自分は好きなのかもしれない。

そんなことを書きながら、最近のビジネス書で書かれる「ストーリーを売る」みたいな表現が浮かぶ自分に若干の嫌悪をおぼえるのだが。

「小説を読むという行為」、それは自分の中で随分と遠くなってしまっていたことで、近年、ビジネス書は結構な量を読んできたのだけど、その中で「小説」を読む機会がおそろしく少なかった。

ただ、今回「ノルウェイの森」を読んで、何を得たのか分からない、と言うか、「異邦人」や「罪と罰」を読んだ時のような衝撃度はない。
だからと言って別にどっちが優れているとか劣っているではないだろうし、それは「異邦人」や「罪と罰」が20代前半に読んだから、当時の心境にマッチしていたのであって、「ノルウェイの森」はどこか昔の話、自分が感情移入する場所は、あまりネタバレになるから言わないが、ストーリーの中には存在しないように思うのだ。

だから、「ノルウェイの森」って学生時代に、それこそ20歳前後に読んでおいたらいい小説なのかもしれない。
もちろん30でも40でもその中にある感情は共感できるのだけど、「処女性」とでも言ったら良いんだろうか、そういった衝撃は20歳前後の方々の方が感じ取りやすいのではと思うのだ。


2.その小説を読む年齢

「罪と罰」を読んだ時、自分は大学4年生だった。
大学に失望し、夏休み後、大学に行くことをあきらめてしまった。
で、親にそのことを言わず、正月が明けてから大学に行ってないし、中退するということを言った。
父はだったら学費を返せと言うし、母は...どうしたのだろう思い出せない、とにかく、当時の自分の心境を理解してくれる人が誰もいなかったので、自分は家を飛び出して、とにかく歩いた。
#罪と罰
#ドストエフスキー

そして、八王子の実家から横浜まで40km歩いた。いや、それは別の時の話か、とにかく、歩いて色々な事柄から逃げ出したい、もしくは見つけ出したいとでも思ったのだろうか。

そして、家に帰り、別に物事に終始はつかないのだけど、ふと本棚にでもあったドストエフスキーの「罪と罰」を読んだ。
思えば、学生時代、まともに本を読んでいなかったのだ。
本を読んで頭が良くなったところで、それを誰とも共有できないだろう、そんな否定的な感情がどこかにあって、だから音楽なら、楽器を演奏すれば、上手くなっても誰かと共有できる、だからやっていたのだと思う。

「罪と罰」を読んで、衝撃を受けたのはストーリーというよりは、

「自分が言語化できなかった感情を言語化してくれた」

ということだったと思う。
当時、自分は色々な感情を抱えていたのだが、22歳の自分にはそれを言語化する術を持っていなかったか、足りなかった気がする。
けど、「罪と罰」をとおして、それらの感情と言葉がリンクして、自分の気持ちを落とし込むというか、自分の感情を現実に落とし込むことが出来るようになったのだと思う。

そして、「罪と罰」を読んで、ああ勉強がしたい、他の人のことはどうでも良いんで勉強がしたいと思った。
だから大学5年目を迎え、ドストエフスキーに関する授業や「罪と罰」は聖書との絡みが多いので、「ドストエフスキーと聖書」に関する授業を受けたり、急にロシア文学に傾倒、いや、ドストエフスキーに傾倒した。

だから、彼の長編小説は全部読んだし、短編も読んだ、「地下室の手記」を読んでいると、まるで自分のように、それは言い過ぎかもしれないが、当時の自分の心境、ひねくれた感情を言語化してあり、衝撃であった。


3.カミュとかフランス映画とかラヴェルとか

だけど、ドストエフスキーの小説はドロドロしていて、たぶんもう一度読むということはないと思う。
特に「悪霊」は人間の心の闇の部分におそろしくスポットを当てているというか、綺麗事がまるでないので、それが今まで読んだ小説にない良い部分でもあり、危険性でもあるんだろうか。

だから、カミュの小説はどこか軽やかかつ深みがあって、自分にはちょうど良かった。
#カミュ

いつからか50,60年代のフランス映画、ヌーヴェルバーグというか、そんなものに心惹かれていたので、そことの接点も感じたんだと思う。

思えば、フランスはラヴェルであるとか、セルジュ・ゲンズブールとか、好きな音楽というか人物がいる。

カミュとかラヴェルには、どこか自分の生活をハイファッションにしてくれるような感じ、オシャレとでも言うのか、そんな感覚がある。

それはドストエフスキーにはない、少なくとも当時の自分には感じられなかった。

思えば、RavelのGaspard de la Nuit : I Ondineが好きというか、Robert Casadesusのアルペジオの弾き方も自分にとっては完璧で、この音質も相まって未だに愛聴盤だったりする。
#ラヴェル

これは別の機会に書くことのような気もするが、自分がラヴェルを聴き出したのは、エマニュエル・ベアールの「愛を弾く女」だったか。


元々、エマニュエル・ベアールが好き過ぎて、それで彼女の映画はひととおり見ていて、その中でこの映画でラヴェルと知り合ったというところか。

どうもクラシックに関しては、古典派かアバンギャルドかの二択くらいに勘違いしていたのか、もしくはラヴェルはボレロってイメージで固定観念があったのか、この映画のようなバイオリンソナタとか知らなく、それがジャズというか、とにかくChick Coreaが好きな自分にはハマる要素が満載だったのだ。

と、気づけば、散乱した文章を書いてしまったが、それは小説の読後に混乱している様相を呈している状態なのだろうか。

とりあえず、昼まで楽曲制作をしようかと思う。

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