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映画『ファイトクラブ』より。タイラーダーデンはなぜ、ケンカを売って負けてこいという宿題を出したのか?


この記事は映画『ファイトクラブ』を鑑賞していたり興味があったりそこそこあの映画好きだぜって人向けの記事となります。

今回の記事を読むことで、映画のファイトクラブをより深く楽しめるようになり、さらに普段どれだけ僕らがプライドとか自尊心、そしてそれらが傷つくことを恐れてとてつもなくそんな行動をとっているかや、そうした損を回避して当たり前のように得する選択肢を認識できるようになる具体的な行動を知ることができます。

ということで、本編いきましょう。

なぜ、負けなければならなかったのか?


ファイトクラブでタイラーダーデンが、メンバーたちにとある宿題を出すシーンがあります。

「街で赤の他人にケンカ売って、負けてこい。」

僕はこの映画は好きで何度も見ているんですが、この宿題の意味というか、一体どいういう意図があるのか実のところ明確にはわかっていませんでした。

いろんな映画のレビュアーさんとかの意見とかでよくあったのが、洗脳を進めるためとか、同じ体験をしてメンバーの結束を強めるためとかがありました。

それはそれで合っているとは思いましたが、どうにも腑には落ちていませんでした。

でも先日いろんな体験をすることで、パッと気がついたんです。

この宿題は、プライドとか自尊心という現実を歪めて固定して盲点を作り出す一種の"フレーム"をぶっ壊して、ありのままの現実を認識するクリアな視点を得るためのものなんだと。

どういうこと?ケンカ売って負けるとプライドがボロボロになるのはわかるけど、それでどうしてありのままの現実なんてもんが見えるようになるの?

いきなりそんなこと言われてもわけわかんないと思います。

まずプライドとか自尊心とは何か?を考えてみましょう。

簡単にいえば、自分に対する認識のフレームです。

「私はOOに値する人間だ」

とか。

「私はOOにふさわしい」

だとか。

そんな感じの自分の価値に関する認識。

なので褒められたり評価されたり他人から尊敬されたり重要な人物だと扱われることで、プラシドや自尊心は大いに満たされたりするわけです。

そしてそういう自尊心がどうすれば満たされるのかという枠組みを作り、それを満たす商売の代表が、ファッションブランドとかになります。

フツーに、事実だけを捉えれば、服やバッグになんかロゴが入ったものが数十万円とか数百万円とかで売られていることに違和感を感じるはずです。

別にそれが悪いとかじゃなく、その値段、価格は決してその商品やサービスの事態価値を表現しているのではなく、これだけの高いもの、有名なブランドを持っている私はすごく特別であるという自己認識を売っているんだよということです。

そう、この商品を買って所有することで、あなたは特別な存在になれますよ。という自己認識のフレームを売っている。

つまりその人の持つプライドを高めてあげるとか、自尊心を持してあげるというのがブランドの提供している価値なわけです。

じゃあ逆に言えば、プライドなんてなくて、自尊心なんてものがない人にとっては、ブランドなんてなんの価値もないわけです。

どんなボロい服を着てようと、高級ブランドの服を着てようと、何も変わらん。

そういう人は、高級な服を買うために何十万円もお金を払ったりしませんから、お金を稼ぐために必死にもならないわけです。

別の高級ブランド品を買うのが損だと言っているのではありません。

余裕で買うことができるなら別に買いまくればいいのですが、世間を見渡すと結構無理してローンまで組んでこういうものを買う人がたくさんいます。

最新のiphoneを毎年買い替える人なんてのもその最たる例です。

必要かどうかで見れば、大半の人にとって最新のiPhoneなんて無用の長物です。

でも毎年めちゃくちゃ売れるわけですよね。

円安だ不景気だと騒がれている時でも、やっぱり売れる。

金がないとかもっと給料が欲しいと文句を垂れる人も、大概持っていたりします。

なんで?

そりゃもう、プライドとか自尊心を満たされるからに他ならないでしょうね。

実際の機能とかじゃなく、それを持っている自分は特別だと思える。

そういうところに高いお金を払っている訳です。

プライドというフレームの外から眺めれば、他の選択肢は山ほどあるにもかかわらず、それらを考慮することさえなく、それを求めてしまう。

こういった例だけじゃなく、例えば何らかの取引とかコミュニケーションでも実のところかなり損だったり過剰コストのトレードをふっかけられているのに、プライドや自尊心が邪魔してそのトレードを受けてしまったり、損切りできないなんてこともよくあります。

異性関係なんてめちゃくちゃ露骨ですよね。

ちなみに異性を選ぶ基準でお金とかルックスみたいなものを優先順位の一位に置いてる人はプライドが異常に高く、その辺を利用されていいように搾取されるなんて人もいます。

仕事でもそうで、明らかにおかしな条件とか受ける必要のない仕事でも、プライドを刺激すると簡単に受け入れさせることができちゃう訳です。

もっと低コストで済むことを、「あなたのような方にはもっとふさわしいものがあります」とか言われちゃうとそっちに目が向いてしまったり。。。。

あなたのような勉強熱心な人にはもっとレベルの高いものがいりますとって高額な情報商材とかセミナーを販売する人もいますよね。

例を出し始めるといっぱいあるんですが、プライドとか自尊心ってものが高い人って、めちゃくちゃ簡単にコントロールできるんです。

いらないものをいるように思わせてばかすか買わせることもできるし、本当はやりたくもないことをさせることもできるし、やりたいことをやらせないこともできる。

自分はそんなこともないって?

いやいや結構あるはずです。

プライドって言葉を使うからわかりづらいのかもしれません。

"大人"というフレーム



例えば"大人なんだから"なんて言葉も実はプライドを刺激して僕らをコントロールする一つのフレームですからね。

"大人なんだからOOしなくちゃいけない"とかいってやりたくないことやってませんか?

"大人なんだからもうこんなことしちゃだめだ"みたいに言い聞かせてほんとは興味あることをやらなかったり、やりたいこと我慢してませんか?

どんなにプライドがないように思えても、僕らは"大人"というフレームにほぼ全員が無意識にはまっていて、その範囲でしか行動できないことがたくさんあります。


このフレームをぶっ壊して、ありのままに目の前にあるものを観察していけるようになること。それがタイラーダーデンが出した宿題の意味です。

大人とか子供とか関係なく、そんな誰かの作った勝手なフレームにはまった自分を解放して、本来のあなたという存在が世界を認識するためのものだったんです。

大人というのが最も普遍的で、僕らの視界を歪め盲点を作り出しているものですが、他にも"男"とか"女"とかもありますね。

あとは職業とかいくらでもそういう"フレーム"はある訳です。

このフレームにハマっている限り、フレームの外にある選択肢はそもそも見えません。

フレームは誰が作ったのか?

しかもこのフレームは、大半は自分で作ったり定義したものじゃなく、顔も名前も知らない赤の他人が作ったものです。

そして多くの場合、フレームはいつの間にか無意識に、何の同意もなく、検証もされず、当たり前のものとしてはまり込んでいるものです。

何度も例に出した"大人"なんてまさにそうですよね?

その定義に外れる人がまるでダメ人間かのように思わせて、理想的な大人というフレームにハマるための行動とか商品を出していきどんどん消費させる。

"男"も"女"も同じです。

特定の人が何の根拠もなく作られたフレームで、僕らは視野を狭められ、自由意志で何かを選んでいるという錯覚の中を生きている。

結局世間に溢れる無数のフレームは、赤の他人の利益のために意図して作られているということです。

要するに、奴隷状態。

脱奴隷状態のためのフレーム外しの薦め

そんな奴隷状態から脱するにはどうすればいいのか?

答えはシンプルです。


そのフレームを壊すんです。

もしくは自由にフレームを行き来する。

具体的には?

他人に喧嘩売って負けてください。

というのは冗談で、実際にあの宿題やっちゃだめですよ?

あくまで映画ですから、僕らはもうちょっとライトなやり方で十分自分の持っているフレームを壊すことは可能です。

要するにこんなことしたら嫌われるとか、恥ずかしいとか、馬鹿にされるとか、軽蔑されちゃうみたいなプライドとか自尊心が邪魔して躊躇っていることとか、恐れを感じることをやればいいんです。

前述したように、いい年の"大人"としてあるまじき行為とか、そういうことをする。

そしてできればそれを人前でやる。

つまり恥をかいてくださいってことです。

あなたが男性の場合は、一番いいのはナンパです。

どこでもいいので女性に声をかける。

別にうまくいく必要はありません。むしろこっぴどく振られてなんだったら暴言吐かれてもいいくらいです。

その方がプライドというフレームを壊していくという目的のためには効果的なので。

まあ罵られたり冷たい目で見られるのが気持ち良くなってしまうとそれはまた別の問題が発生しますが・・・

やってみればわかりますが、思ったほどひどい対応はされません。せいぜい完全無視くらいで、そんくらいで凹むこと自体がいい経験だし、思い込みの世界から脱出するには最高です。

結果どうなるか?

プライドを守るためとかくだらない目的のために、見送ってきたチャンスとか楽しみ、幸福の多さに驚愕すると思います。

あるいは目の前にもうすでにあった豊かさとかに気がつくかもしれません。

どのみち悪いことはないので、やってみてください。

実際やってみたとか、こんなんでもいいの?というアイデアとかあればジャンジャンコメントしてください。

あと何もしなくてもいいけどファイトクラブは観よう。

ではまた。





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