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伯母の記憶と屋敷神

築150年以上と言われている古民家を息子と一緒に引き受けました。この場をどう利用するかは、はっきりとは決まっていないが、とにかく3世代分が溜め込まれた家財をまずは片づけるところから連休は動いた。

2021年5月2日の記録のその2。

大工のヒャクダイ先生をチーフとした、チーム・ヒャクダイが2階の梁を修復し終わったタイミングで、この家で生まれたミツエ伯母を連れて、イトコのシュンちゃんがやってきた。

ミツエ伯母も89歳。元気なうちに連れて来てね!とお願いしておいた。コロナのこんな時期だけど、お天気と気候が良くなったので来てくれた。本当に何年ぶりにこの家に来たのだろうか?すっかり古びてしまっているであろう家を見ても

「変わらないねぇ。。。」

と言いながら一部屋一部屋、家のまわりを見て子供の頃の思い出を語ってくれた。

「お蚕をやっている時は大勢の人が2階や3階にいて、うるさくてねぇ。。」

とか

「梁の、この菊の飾りを磨かされてもんだよ。」

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「これはネズミ箪笥って言ってね、ここに作った料理を入れておいたもんだよ。ネズミに食べられないようにね。」

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とかとか、解説をしてくれた。きっと伯母の頭には当時の風景が鮮明に蘇っているのだと思う。

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もう一人のフミエ伯母が時々電話をくれる。毎回「私のいるところから屋敷神さんの天狗山が見えるので、毎朝『家を守ってください』とお願いしているよ」というところから話が始まる。その後が長いのだが、今、聞いておかねばならない話がたくさんでてくる。

前回来た時に、3階の西側にその「屋敷神」が祀られている事を確認した。その時、西日に照らされて何か畏怖に近いものを感じ、なんだかこの神様がいる限り大丈夫だと思えた。

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ところが、ミツエ伯母の話によると、元々、屋敷神はこの屋根裏に祀られていたわけではなく、裏の畑に社を作って祀られていたとのこと。その跡の石垣で残されていた。休憩には座り心地のよい高さで、恐れ多くも座ってスマホなどいじっていた場所である。すみません。

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ちなみに以下が、先日カゲヤマプロカメラマンがドローンで撮影した「屋敷神」。何年も人が立ち入っていないので、ものすごいホコリである。早くきれいにしてあげなくては!と思う次第。

ミツエ伯母とイトコのシュンちゃんの滞在時間は2時間弱と短かったが、次回はもっとゆっくりしてもらえるよう、片づけをしていこう。

サヤマネエ、アサカワのプロコンビはものすごい働きぶりで、梁の修復だけでなく、小屋のトタン壁のばたつきをなおしたり、トイレの扉の立て付けの調整をしたり、雨戸の調整をしたりと本当に感謝しきれないほどの活躍でした。プロ2名が帰る頃、夕焼がとても美しかった。本当に本当にありがとう。ありがとう。

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広い旧家のため、ここにいるだけで歩く歩く。この日の歩数26,021歩。



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