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流れくる文字列

皆、忘れているのだろうかと思うことがある。
自分が発した言葉は、もしかしたらどこかで誰かを傷つけているかもしれないということを。

そこここにあるものはすべて、おおざっぱに分けて二通りの評価ができる。
有りか無しか。
良いか悪いか。
心地よいか、気持ち悪いか。
美しいか汚いか。
簡単か難しいか。
どれも相反するけれど、どちらも含まれている。
どちらを支持する比率が大きいかで、物事の価値はおよそ決まってしまう。

私には簡単でも、あたなには難しい。
あなたは好きでも、私は嫌い。
諍いや否定も、そこから派生することが多いように感じる。

物事は言葉で表す。
だから多くの人の目に触れたり、話すときは言葉を選ぶのをとても迷う。
なるべく誰かが嫌な気分にならないであろう最大公約数の言葉を予想し、選んでいるつもりではあるけれど。
残念ながらそれは完璧ではない。
誰かの何げないひと言に傷つくこともあれば、自分の発した言葉が思わぬ嫌な圧力を誰かにかけてしまうこともきっとある。
かといって、そんなことばかり先回りしていては、自分の言葉が委縮してしまう。

言葉は所詮道具。
使い方次第で如何様にもなるもの。
道具を使うのは人。
使い方は人それぞれ。

言葉はそのまま、持ち主を映しているかに見えがちで。
けれど、じつはそうでもない。
昂りに任せて思っていることと反対の言葉が出ることもある。
状況をなだらかに収めようと自分の意思に反した言葉を並べるときもある。
場合によっては人の言葉をあたかも自分の言葉のように使う人もいる。

じっくり練られた言葉なのか、そうでない言葉なのか。
日々、言葉の川の中にいるけれど、それを見分けられるくらいになれたらと思う。






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