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風ひと匙

いつも仕事が終わると、その日の残り時間はほとんど台所に籠っていると言っても過言ではない。
手際が悪いのか、余裕に見合わないものをつくりすぎなのか。
夕食の準備に片付け、翌日の仕込みを入れると四、五時間は流しとコンロの前に身体が固定されている。

そんな台所に時折、風が吹く。
なにぶん、住み古した家である。
コンロ奥にある窓の枠下には隙間ができ、運の悪い年はそこから蟻が隊列を組んでやって来る。
亀裂に顔を近づけると、生暖かい空気が細く噴き上がっている。
すこし湿った夜の匂いと、時々、どこかの家から漂ってくる揚げ物の匂い。

こっそり空いた通気口は、風の強い日ならヒューと音を立てて。
油と熱気で淀んだ台所の空気に、風穴を開けてくれる。
夜の匂いはとても生々しくて。
あぁ、今はそういう時間なのかと、いつだったか歩いた夜道を思い出したりもする。

住宅事情としてはもちろん、隙間風なんてないに越したことはない。
それでも、密閉された空気からふっと解放される瞬間は、なんともいえず心地よいものだ。




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