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ふくらまぬ声。

私の声はあまり通らないな、と思うことがある。

どこにも、声の大きな人というのはいて。
皆の話をひとところに制するエネルギーを持っている。
かと思えば、声はささやかなのに、すっと透る声でその場の空気をさらっていってしまう人もいる。
同じ内容を話していたとしても、そんな人たちは人より幾ばくか多くのプラス要素を受け取る才があるのではないか。
妬み僻みなんてものを超えて、これはもう生まれ持ったなにがしかだろうと半ばあきらめているけれど。

声音に加えて、いつもあとひと言のタイミングも一瞬遅れてしまいがち。
こちらが躊躇った隙を突くように、躊躇ない言葉がさっと割って入ってくる。
結果、自分の手の中に残った言葉を持ち帰っては、まぁたいしたものではないからいいか、と言い訳じみた気持ちで包んで捨てる。
そういうことが、よくある。

親しい間柄ならばそんなことはないのだけれど。
一歩二歩引いて話す相手となると、後からぽろぽろと言い残した言葉が転がってきて。
というよりも、あえて言い残しているのか。
言ってしまえば互いの空気にヒビが入ってしまうかもしれない。
言ったところで相手にクエスチョンマークを立てるだけかもしれない。
そんなふうに、粘土細工のようにコネコネと捏ねくり回しているうち、残ってしまった声や文字。

いつだったか、パン作りに凝っていた頃のことを思い出した。
力任せに捏ねたり叩きつけたり。
全身の力を込めて、とにかく捏ね続ける。
ところが、手を入れ過ぎると、オーブンに入れても膨らまなくなるのだ。

案外、さっと捏ねて、ぽいと焼き上げた人のほうがふっくら膨らんだパンを口にできたりするのだろうか。

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