一瞬の長い夏
一日続くと構えていた本降りの雨は、昼過ぎ、肩透かしをくらったように止んでしまった。
雨が遠ざかると、息を潜めていた蝉の声が戻ってくる。
先日、実家の木に小ぶりの蝉が貼りついていた。
一見、樹皮かと見まがうような斑模様。
ニイニイゼミだという。
家族が今年初だと持ち帰った抜け殻はアブラゼミのものだった。
つい昨日は、早くもその生涯を終えた蝉が門前に横たわり、蟻たちの糧になろうとしていた。
透き通る緑の翅は最期まで美しく、すぐにクマゼミだとわかった。
蝉は気温を察知して、それぞれの種ごとに時期をずらして生まれてくるように思っていたけれど、今年は一堂に会しているのだろうか。
二転三転する気温に、右往左往しているのは人間だけではないのかもしれない。
種によって多少の違いはあれど、数年もの間を地中で育ち、ようやく陽の下に出たと思えば、あっという間に逝ってしまう。
人間の時間軸を基準にすればあっという間だけれど、彼らにとっては土の中の暮らしもまた、大切な生きる時間。
羽を広げて飛び立つことが生まれた目的かのように言われるのは、ひょっとしたら彼らにとっては不本意だったりして。
ひとり籠る間も粛々と栄養を蓄え、成長し続ける。
そしてやがて訪れる夏の一時を、全力で生きる。
そういう生もあるのだ。
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