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交換日記にまつわるエトセトラ

交換日記と聞くとなにを連想するだろうか。
小学生の遊びだろうか。
友達や恋人とのコミュニケーションだろうか。

私も、いままで何度か交換日記をやってきたが、その中でも特に記憶に残っている相手が3人いる。母と中学、高校の担任の先生だ。

母との交換日記は、小学校中学年ころだったかと思う。私からはじめることを提案したのか、母からだったのか、詳細は覚えていないが、きょうだいがいる中で、母から反応がくることがとても嬉しかったことを覚えている。

私の誕生日はチョコのケーキにしてねとか、水泳がんばったよとか、そんなことを書いていたのだと思う。母も、チョコのケーキにしようね、水泳がんばってね、練習見に行くようにするからね、など短いコメントを書いてくれていた。いつの間にか、お互い忙しくなってやめてしまったが、いまでも思い出すとほっこりする。


中学の担任の先生とも、1年間、交換日記をしていた。これは、書きたい人は書いて、提出してくれといった先生からの提案で、強制ではなかったが、彼の人柄に興味があった私は、ほぼ毎日、短くてもその日あったことや思ったことを書いて提出していた。

クラスでも私を含めて3〜4人くらいしか、ノートを提出していなかったのもあってか、
先生は、必ず日記ごとに短かったり長文だったり返事を赤ペンで書いてくれた。

先生の好きな花や食べ物、学生時代は麻雀が好きだったとか、東京にシチューを食べに行ったとか、本当に他愛のない話ではあったが、私は返事を読むのがいつも楽しみだった。

生徒が何を考えているのか理解しようとしていたのか、毎日書くくせをつけて欲しかったのか、交換日記をやろうと考えた、真意はわからないのだが、彼の異動が決まり、交換日記が終わるころには、彼は私にとっての恩師と呼べる存在となった。彼の異動後、私が高校受験に失敗した際には、なんと自宅まで駆け付けてくれている。

その日記は、ずっと大事にとっておいて、たまに見返していたのだが、実家が引っ越しをした際に行方知らずとなり、そのまま。
私にとっては、例えば高いアクセサリーを失くすよりも悲しいことで、いまでも深く後悔している。



3人目は、高校の担任の先生。
彼女は、若く、可愛らしい見た目にして、高学歴、芯の強い女性だった。
でも全然嫌味っぽくなく、根が優しいのだろう、生徒になめられないように無理に強めに注意をしたり、とてもがんばっているように私には見えて、陰ながら応援していたところ、彼女が高校最後の年の担任になったときは、心の中でガッツポーズした記憶がある。

彼女が、もしできる人がいたら、先生と交換日記しましょうと提案してくれたときには、中学のときのことを思い出して、すぐにやりたいなと思った。

彼女は音楽が好きという前情報があったので、自分の好きな音楽の話を日記に書いたら、趣味が似通っていたので、お互いテンションは爆上がり。歌詞の考察をしてみたり、ラジオ風に曲紹介をしてみたりと、まるで仲の良い友達とする交換日記のような内容になっていった。

私が毎回1〜2ページを費やすので、毎日とはいかなかったが、たまに書いては先生に提出して、赤ペンで返事をもらっていた。

このノートは、
いつか大人になったらお茶しましょう、そのときに覚えていたら私に返してくれると嬉しいですと言って、卒業のとき彼女に託してある。

彼女はいまでもこのノートを覚えてくれているのだろうか。行方知らずだろう、いやでももしかしたら、なんて、思い出すたび考えている。

そのノートと先生の記憶の中には、確かに高校生の私がいて、なにを考えていたのかが少しはわかるわけで、それってきっと恥ずかしいけど、素敵だなあと思うのだ。

今回、交換日記について想いを巡らせたこともあったし、最近の事情を鑑みても、あと数年の間には、彼女に会いに行きたい。


思い出に存分に浸ってから、はっと現実に戻った。

私はあの頃から少しは大人になれていて、
母となったいま、子どもたちが大きくなってきたら、交換日記をしてみない?と提案したいと考えている。
毎日じゃなくても、続かなくてもいい。

交換日記をして、ほっこりするような、なにかが満たされるような、うきうきするような、あの気持ちのいずれか一つでも味わえたら。

きっとその気持ちは、子どもたちが大人になったころ、愛しいものになっていくと思うのだ。

#子供としたいこと
#交換日記
#学生時代
#思い出
#書くというコミュニケーション

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