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家庭の崩壊と再構

家庭と組織

組織とは共通の目標や役割を持った複数人の集団。このような認識で概ね正しいだろう。
ということは2人以上の家庭も組織と言える。

今まで地球上では無数の大小様々な組織が誕生と崩壊を繰り返してきた。大きなことを達成するためにはより大きな組織を作ることが求められる。多くの人間に共通の目標を抱かせ動かすことの難しさは自明の理だが、ある一定の大きさを超えた組織ができればコントロールは容易い。
右にならえの法則だ。
多くの人が右と言う中、左を選ぶのは勇気がいる。多くの人間は大多数の意見に賛同するのが常だ。単純にその方が楽だし、考えることは疲れるからだ。

それに比べて小さい組織はそうはいかない。大多数の選択を選べない以上、各個人は頭を働かせて選択しなければならない。
そして、その選択を他の人にも選ばせるべく説得し、納得させなければならない。
大きな組織と違い、小さな組織は個人の力が大きい故に、大きく個性がぶつかり合う。
そういう意味で2人という組織が如何に難しく、存続することが危ぶまれるのは仕方のないことなのかもしれない。
しかし、この難関を超えた先でしか真の幸せを味わうことはできない。
血の繋がりのない他人と2人という組織を作ることができ、それを存続させることができるのであればそれは最難関にして至高の幸福を手にできるだろう。
そう、その組織の名とは
家庭だ。

崩壊と再構の歴史

人類は多くの組織を作り、崩壊し、再構築してきた。その創造と破壊の歴史の中に必ず存続のヒントは隠されている。

身近にいくらでも参考にするべきお手本はいるだろう。
長く続いている会社、長く続いている夫婦。
その組織は大きさも形態も違うが、必ず共通項があるのではないだろうか。

国という最も大きな組織で歴史上存続することができた国は君主制か共和制のもと国王や国民の代表が統治してきた。基本的に組織は1人の代表が統治することでしか存続できないと歴史が教えてくれている。
大きな組織から小さな組織へと細分化していってもあらゆる組織には必ず長がいる。知事、市長、部長、課長、係長、班長、、、
大なり小なり組織とはまとめ、指示し、責任を取る1人の存在がいないと機能しないのだ。
故に、2人しかいない組織でも代表がいないのならそれは機能しないということになる。

ツーマンセル

なぜ2人組の組織はリーダーがいないと機能しないのだろうか。それは差が生まれるからだ。
ほぼ能力が同じもの同士の組み合わせだったとしても2人しかいなければ差が生じる。それが側から見たら僅かな差だったとしても、差が生じ立場が一緒となるとそこには不公平が生じる。
不公平が生まれればその差に対してインセンティブを求めたがるのが人間だ。
そのようにしてどちらかと比べた場合、組織に対してより多くの貢献や責任を負う者がインセンティブを貰い長(リーダー)となるのだ。
そのようにして2人組もどちらかをリーダーとし、正式にリーダーとしなくとも暗黙のうちにリーダーを据え置くことで機能している。
家庭もそれは例外ではなかった。
戦前まで家父長制のもと一家の主人(男性)が家庭を統治するのが当たり前だった。今でも女性は男性に嫁ぎ、氏を継承するのが大多数だ。
家父長制は女性をあまりにも蔑視しすぎたことが問題だ。家父長に女性もなることができるのであればそこまで問題にはならなかったはずだ。
要するに長を置くこと自体は問題ないのに長になる条件を限定しすぎたことで長を置くこと自体も問題のように見えてしまっている。
家庭だろうと長を置くべきだというのが私の考えだ。
ただそれはより正しい形でという言葉を付け加えておく。

男女平等女性活躍推進の弊害

家父長制の名残りもあり、女性蔑視は戦後何年もかけて徐々に和らいできていたが男性が働き、女性が家事育児を担うというのが長く続いてきた家庭の形であり、不平等ではあるが家庭の存続という意味においては成果を出してきたのは事実だ。
しかし今その存続が危機的な状況となっている。

世論の男女平等の機運が高まると、男性が働き女性が家事育児を行うのが不平等であり、働いてキャリアを積んでいきたいと思う女性が増え、社会も女性活躍推進を謳うようになった。
更に不景気も相まってバブル以降世帯年収の低下から共働きせざるを得ない家庭が増えていくことになる。
そうなってくると女性は家事育児と仕事もしなければならず、旦那である男性へ家事育児への参入を呼びかけることになる。
だが、女性たちが思うように男性が家事育児に対して積極的な姿勢や責任感が感じられないことに憤りを覚え、旦那に頼らず自分一人でこなそうと四苦八苦するが、キャパオーバーとなり家庭崩壊となることはけっして少ない話ではないだろう。
離婚率自体年々増加しており、現在35%3組に1組が離婚する状況のようだ。
この崩壊を防ぐにはどうしたらよいのだろうか。

片働き、共働き

結論から言うと女性が家庭と仕事の両立ができずキャパオーバーになることが家庭崩壊の1番の原因と考える。女性が専業主婦になることに積極的であり、且つ男性の収入のみで生計を立てることができるという従来通りの形が最も家庭が存続し易い形だ。この形であれば女性は家事育児に専念できるし、男性も仕事に専念できる。もちろん負担が大きい方のフォローをすることが大前提だが、共働きよりは負担が少ないのは明白だ。

共働きをせざるを得ない、または男性女性共に就業意欲がある家庭では男性と女性の負担が限りなく同じになるようにする必要がある。お互い仕事をしている以上「おれも仕事で疲れている」という得意文句が通用しない。
明らかなブラック企業に旦那が勤めていて疲労困憊が明白ならまだしもお互いの仕事の内容や忙しさ、厳しさを理解させることは不可能な以上、男女平等に家事育児をこなすしかない。
共働きでお金に余裕があるならベビーシッター、託児所と利用できるサービスは最大限に利用し、負担自体を減らすのも重要だ。
それでもやはり格差というものは生まれてしまうのはなぜか。

得意と苦手

そもそも男女で得意と苦手には大きな差がある。特に家事育児に関しては遺伝子レベルで差があるのは間違いない。
何万年も前まだ人類が狩猟採集で生きていた時代から男が狩り、女が育児を行っていた。それはそれに適した体格や能力があるからであり必然なのだ。
それは遺伝子に刻み込まれているからこそ、男の子は昆虫採集や戦いごっこ、女の子はおままごとに夢中になるのはいつの時代も変わらない。小さい頃はおままごとで家事育児の真似事をしていた女性たちに家事育児で男性が同程度の成果が出すことは困難を極める。まずそれを世の女性にご理解いただきたい。
では、そもそも家事育児が苦手な男性が女性の負担を軽減するためにはどうしたらいいのだろうか。
まずはお互いが得意なことと、苦手なことをお互いが理解することから始めよう。
そしてそこからお互いがやるべき事を分担していくのだ。

リーダーと部下

お互い納得の上、家庭という組織のリーダーをどちらかがやるのが理想だが、それができないのなら家事育児は役割ごとにどちらかがリーダーとなるのがいい。
家庭も一つの組織だと先程も述べたように、家庭も会社のように役割を分け、責任者を置くことが望ましい。
会社でいう総務、経理、営業、人事と家庭でも部門を分け、育児、料理、洗濯、掃除、仕事、お金と分けて夫妻どちらかが部門のリーダーとなるのだ。
部門のリーダーはその勤めを責任を持って果たすべく取り組むが、リーダーの負担が多過ぎるのであれば他部門から応援を要請するのか、部下を育て分担する。(ここで言う他部門と部下は夫のこと)応援要請もできず、部下にその素養や時間がないのであれば外部委託等(ホームヘルパー、ヘビーシッター等)の検討も必要だ。
部門の責任者はどちらか向いている方がなるべきだ。二人しかいない以上得意苦手には必ず差が出る。(部門ごとのリーダーの割合もここではある程度平等になるようにする)
あと部門の責任者として他部門や部下に対して過度の期待を求めないことも重要なことだ。
会社でもそうだが、営業がどれだけ忙しくても経理は勝手に助けてくれないし、仮に助けに来たとしてもほぼ役に立たないからだ。
当たり前のことだが、往々にして経理は営業が得意ではない。だから経理なのだ。
他部署を応援に呼ぶ際は、未経験者でもできる業務を手伝ってもらうか、できるように指導することが求められる。
それは家庭でも同じだ。
妻が育児部門の責任者であるなら、夫という部下であり他部門の責任者に対して上記のような手順を踏み仕事をしてもらう必要がある。

組織と家庭

家庭という組織が崩壊しないためには結局のところ会社と同じく部署同士や部下同士の相互理解、相互扶助が必須となる。そのためには日ごろのコミュニケーションが大切だ。結局のところ二人の組織だろうと一万の組織だろうとお互いが理解しよう助け合おうとする歩み寄りの姿勢とその積み重ねが組織存続の鍵となるのだ。
毎日挨拶をする、お礼をする、対話をする。こう言ってしまうとこんな簡単なことかと思うかもしれない。
しかし、これができるか、できないかだけで組織は全く別物のように機能するようになる。
そして、こんな簡単なことがてきず崩壊する組織が山とある。
組織に一人でもこの考え方ができるリーダーがいるのであればその組織が崩壊することはない。その積み重ねは必ず相手の心に届き、相手を動かすことになるから。
自分が変われば周りが変わる。自分次第で組織が変わる。
他人を変える唯一の方法は自分が変わることだ。


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