見出し画像

七不思議③~名声 放火犯か大王か

トルコ エフェソスのアルテミス神殿

現地の近くにあったアルテミス神殿?の模型

 アルテミスはギリシア神話で豊穣や狩猟の女神とされ、太陽神アポロンと兄妹とされています。その神殿はトルコのエフェソスという街の郊外にあります。紀元前700年代の完成。一度、侵入してきた蛮族によって破壊され、前550年頃に世界初の貨幣を発明したリュディア王国のクロイソス王によって再建されました。

 荘厳な大神殿は七不思議で最も美しいと評判でしたが、前356年7月21日、羊飼いの若者ヘラストラトスによって放火されてしまいました。動機は「何でも良いから有名になりたかった」。この逸話から、英語では、どんな事をしてでも有名になろうとすることを「ヘラストラトスの名声」と言うそうです。当然、彼は死刑。歴史にも残さない「記録抹殺刑」となりましたが、当時の歴史家が個人的に記録したので、現代まで名前が残ってしまいました。彼の野望は成功した?

アルテミス神殿跡地の敷地内で売られていた女神像など。ブドウの実のように沢山の乳房を持つ女神像は、アルテミスというより、さらに古い時代の豊穣や子孫繁栄を祈願する地母神像の名残り。

 さて、自分の神殿が大炎上しているというのに、アルテミス神はどうしていたのか…なぜ、神の力をもってこの大火事を防げなかったのか・・・彼女はこの日、ある男の誕生が気になり、それどころではなかったそうです。


 炎上したのと同じ日、遠くギリシア北部に位置するマケドニアでひとりの男児が誕生しました。彼の名はアレクサンダー(アレクサンドロス3世)。後に本物の名声を得て「大王」と呼ばれる男…

マケドニア王国のアレクサンダー大王(左馬上)とペルシア帝国のダレイオス3世(右馬車の上)との戦いを描いたイタリア・ポンペイ遺跡出土のモザイク画のレプリカ(大塚国際美術館より)

 ------------

◆私の歩き方:トルコのエフェス(現代名)のバスターミナル周囲は宿や飲食店、住宅が並ぶ一帯。そこから世界遺産でもある古代エフェス(エフェソス)遺跡に行く途中にアルテミス神殿があります。遺跡へはバスが早いですが、アルテミス神殿には私は待場から歩いて行きました。エフェソス遺跡に比べ、アルテミス神殿跡地に気がつかない人も多いかと思います。ちょっと残念ですね、勿体ない…。

 さらに、アルテミス神殿の背後にオスマン帝国時代の要塞と、イエス12使徒のヨハネの墓がある「聖ヨハネ教会跡」もあります。イエスの昇天後、ヨハネと聖母マリアが晩年を過ごしたのが、ここエフェソスなのだそうです。そのお話と旅日記はまた別の機会で。

表紙の写真=アルテミス神殿の現在。柱1本と土台がわずかに残るのみ。背後の丘の上にオスマン帝国の要塞。その麓に「聖ヨハネ教会」の遺跡とヨハネの墓があります。

(訪問日:2015年6月18日)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?