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友人の結婚報告のタイミングが自分にとっては良くなかった件

学生時代の友人から、入籍したという連絡があった。

私、絶賛PMS期。鳴り止まぬグループLINEの通知に嫌気がさして、一旦オフにしてしまった。いつまでも無視をする訳にもいかないので、とりあえずお祝いの言葉を送ったけれど。

高校時代はお互い同じ界隈のオタクで、部活も同じ。毎日のように連絡を取り合う仲だった。彼女は私と違って誰とでもよく喋り、同級生・先輩・後輩・先生と多方面から親しまれやすい子だった。

その後彼女は地元の大学へ、私は専門学校へ進学した。その頃には自分の病んだメンタルがデフォルトになっていたのも原因かもしれないけれど、お互いが身を置いている環境の違いからか、価値観のズレを感じるようになってしまった。

社会人になってからも時々連絡を取ったり、ランチをしたりすることはあった。でも会う度に、話す内容に困る自分がいた。年齢を重ねて趣味も変わり、価値観も変化して、何を共有したらいいのか分からなくなってしまった。もちろん私が話下手なせいでもある。年々連絡を取る回数が減っていき、そして今日の結婚報告に至る。



私はずっと彼女に劣等感を抱いていた気がする。

高校生の頃は深い話をよくして、楽しさも不安も同じように感じていると分かっていたから、自分と違って社交的で人望が厚い面を知っていても、彼女と自分を比べて大きく落ち込むことはなかった。

しかし、段々とお互いの本心を共有する機会が減っていくにつれて、会った後には彼女と自分の現状を比べて病んだり、彼女の言動に疑問を抱いたり、彼女の欠点を許せなかったりすることが増えた。

私と違って彼女の交友関係は広い。もう私など友人として頭に浮かばないくらいどうでもいい存在になっているに違いない、と考えるようにもなっていた。

あらゆる人間関係は、相性とタイミングが全てだと思っている。そのどちらかが合わない場合でも関係は成り立たない、と前々から感じている。私たちは高校時代にたまたま出会い気が合ったけれど、年月の経過と共にその両方にズレが生じて、友人と呼ぶには微妙な関係になってしまった気がする。

それでも時々連絡があるのは、最初に話したグループLINEの存在があるからだ。もう一人、同じ部活に所属していた子との3人で構成されている。当時はよくそのメンツでつるんでいた。でも私はその子と一対一ではそこまで仲が良いと感じておらず、向こうは好意的な態度を示してはくるけれど、本心が見えづらく少し警戒心を抱いてしまうような状態だった。未だにどう接したらいいのか悩んでしまう…。


色々と記述してしまったものの、学生時代の友人の結婚を素直に喜べない自分、人としてどうなんだろう。そう思ってしまったからこのnoteを書いている。思うことが色々ありすぎて。

まず、それぞれの交際期間が似ているのだ。4年ほど付き合って入籍した彼女。4年付き合って、約2年は同棲していたのに結果別れた私。結婚というのは当人たちの意思によって決めるものであって、自分のこの年代において結婚できる人とできない人に明確な違いがあるとは思っていないのだけれど、自分はちょうど最近同棲解消して一人暮らしを始めたというのに、彼女はゴールインしたとなると嫌でも比べてしまう。私に結婚願望がそこまでないことを付け加えたとしても。

あとはやはり、価値観の違いをまざまざと感じる。彼女は結婚することが自分にとって幸せな道だと思っているから、その選択をした。いつだったかかなり昔、いずれは子供が欲しいというような話も聞いた覚えがある。いくら多様性が認められ始めた時代ではあっても、こんな田舎では結婚して子供を作り、家庭を持つことが普通だという考えが根強い。彼女は普通とされる感覚を持って生きているんだな、私とは違うんだな…と少し悲しい気持ちになってしまった。


私は友人がとにかく少ない人間なので、時々でも『現在進行形で連絡を取る友人が入籍した』という経験が、実は今回初めてだった。だからこうやって自分の様々な感情に直面して戸惑っている。気持ちのやり場に困っている。

自分の結婚願望が薄いことと、友人が結婚してめでたい状況にあることは別物。頭では分かっている。素直に祝える人間であれたら美しいのにとは思う。でもそうなれないのは、私が未熟だからなのか、結婚=おめでたいこととして刷り込みがあるだけで本心ではそう思えていないのか。なんだろう、両方のような気がしてくる。

きっとこんな考えさえ少数派なのだろう。私がグループLINEに返事をした途端やり取りが止まったのも、癪に触ってしまう。

PMSなんだからもう考えるのをやめたい。


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