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どうしてこんな小さな町で本をつくる本屋なんか。

こんにちは。はじめましての方も、そうでない方も。

私は、福井県福井市という日本海が美しい北陸の小さな町で、本をつくる小さな本屋を営む「HOSHIDO(ホシド)」の店主・佐藤実紀代と申します。

福井県は人口75万人にちょっと上乗せするぐらい、福井市は25万人にこれまたちょっと上乗せするぐらいのコンパクトな街です(ちょうど山形市と同じぐらい)。そして、福井市の中心部にある福井駅前から徒歩3分ほどにある雑居ビルの中で、暗〜い灯りの中で小さな本屋を開いています。

福井駅前には、JRと路面電車2社の駅、それからバスのロータリーがあって、地下鉄はありません。あ、空港も、ありません。県庁の建物が、元々福井藩のお城だった場所にあって、歴史好きの人から見ればなんとももったいないことをしているように見えます。

それから、こういった小さな街によくあることですが、駅前商店街の空洞化、商業施設の郊外化、再開発事業の展開が絵に描いたように見られる場所です。

私はそんな福井市の西のはずれ、山間地域で生まれました。駅前までバスで30分。高校に行くには始発に乗らなければ間に合わないぐらい離れていて、バスの中でずっと本を読んでいた(車酔いする方だったけどこれで克服してしまった)。

もちろん、よく駅前には遊びに行っていて、松木屋という楽器とCDと買える店には毎日のように通っていたし、勝木書店はバスを待つ間の数分でさえ店の中に入って立ち読みで時間をつぶしたりしていた。古着屋さんや雑貨屋さん、靴屋さん。バイトで稼いだお金は、全部そういうものにつぎ込んでいて、貯金なんていう言葉は知りませんでした。

でもやっぱり福井からは離れたくて離れたくて、勇気を出して親に話してみたら、金沢なら、ということだった。あまり大学進学は考えていなくて、専門学校でグラフィックデザインを学びたかったのですが、大好きな担任の先生に説得されて、とにかく金沢の大学へ行くことになりました。

大学で福井を離れて5年後に戻ってみると、街はとてつもなく寂しくなっていました。通っていた店がなくなっていき、その寂しさはどんどんどんどん進行していて。私も自分の街で楽しむことは諦めていたし、カルチャーを求めて県外へ出かけることがほとんどでした。

ぼんやりしていたら、いつの間にか(ほんとにいつの間にか)私は30歳になっていました。子どもも生まれました。双子だから会社への復帰をせずに家で仕事をすることにしました。

とにかく現金が必要だったので、外へ出られないから在宅で請け負えそうなことは何でもやりました。Webライターが流行り出した頃で、「モテるための秘訣」とか「女子をおとすためのテク」とか「ジュエリーのうんちく」とか、自分にとってはどうでもいいことを1日に1万字書いたりして。

とある街の広告情報誌を夜中まで編集してデザインがいけてなくて怒られながら入稿したり、会ったことのない人のゴーストライターをして気持ちをくめずにお金を払ってもらえなかったりもしました。

そこで、ふと思った。私の「仕事」って何だっけ?

子どもが2歳になるのを待って、私は名刺を作って、直接福井の街へ出ることにしました。初めて異業種のマッチングイベントに参加して、何か自己紹介をと思い、「本が大好きなんです」と一言添えて名刺を交換。何をしたいというわけではなく、自分ができることは何なのか?と、人に出会いながら自分の仕事を探しているみたいでした。

自分で「本が大好きなんです」とはよく言えたものだな、と思うのですが、読書家の人から比べれば、全然読んでないし、本を所有しているわけでもなく、作家のこともよく知らない。でも、本を支えに生きてきたことは、嘘じゃなかった。だから、好きなんです、と正直に言えたわけです。

「佐藤さんって本が好きなんですね、もしよかったらこんなイベントに参加してみませんか?」そんな風に、いろいろな場所から声がかかるようになりました。本と人を通じて、街のことを貪るように知ろうとしました。たまに、夫から「何やってるの?」と肩を叩かれて、ハッと我に返ることもあったり。

結局、2012年から5年ぐらいは自分が知らなかった自分の土地のことを知るために、本のイベントや仕事(取材やデザイン)を通じて情報収拾することにのめり込んでいきました。子どもたちは小学校に行き、私もあと少しで40歳になるところまできました。

「本屋を開いてみよう」

そう思ったのは突然ではなかったし、これまで考えてきたことの蓄積だったと思います。「まちライブラリー」という事業に関わって本棚を開くことによって生まれるコミュニティについて学んだし、「リノベーションスクール」を取材して街にコミットする人々のおもしろさも目の当たりにしてきた。たぶん、その経験とアイデアが入り混じって、自然とその形になったのでしょう。

場所は絶対に福井駅前で、と決めていました。郊外では意味がない。福井のカルチャーがこの場所に集まってきてほしいと思った。理由は...まだいまいちわからない。

元居酒屋のカウンターをきれいに掃除しただけの本屋を、毎週水曜日に一度開くようになって、一人、二人と、通ってくれる人が増えてきました。不思議なことに、その一人ひとりが、自分の作ったものや表現のことをぽつりぽつりと語り出しました。福井で自分のやることが伝わるのだろうかという壮大な実験のつもりだったけど、すぐにそれは意味を持ってきました。

「この街で本をつくろう」

まずは、自分ができることを考えてみた。ブックデザインはやったことがないけれど、一冊分のDTPならこれまで何度か経験がある。取材とライティングも、それなりにやってきた。だから、今までの自分のスキルを一度全力で出し切りたいと思いました。

そんな時に出会ったのが、若狭塗箸の職人である的場政義さんでした。

どんな遊びにものめり込み、生涯をかけて箸をつくる人。まさしくつくる人でした。何よりも、箸そのものにすべてが現れていました。私もその魂を学びたくて、家族の相談ナシに、本をつくることを決めてしまったのでした。

取材して、編集して、クラウドファンディングもやり、新聞やTVにも取材してもらい、たぶん家族は「一体、こいつはどうしたんだろう?」と思ったかもしれない。だけど、最終的には、膝を突き合わせて話し合い、今ではとても心強い応援者になってくれています。ほんとうにありがたいことです。

つくった本『はしはうたう』のお話はこちら

40歳になったら、いろいろとまとめなきゃなと思っていたところ、コロナがやってきました。これまでも在宅だったから、あまり変わらないと言えば変わらないのだけど、やっと自分の足跡を振り返ることができるようになったから、こうして書き綴っています。

自己紹介というには長いけど、淡々と、こんな風に本屋の「HOSHIDO」をはじめて、続けています。もし、よかったら、お店に来たり、ラジオを聴いたり、Twitterで挨拶したりしてもらえればと思います。これからもよろしくお願いします。

Twitter https://twitter.com/hoshido_fukui
ツイキャス https://twitcasting.tv/hoshido_fukui/show/

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