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ハロウィンの思い出

木枯らしが吹く季節になると、毎年思いだす光景がある。いまから二十年以上も昔、私が小学生だったとき、私の家の近くには外国人の夫妻が住んでいて、英語教室を開いていた。

二人とも、イギリス出身で、奥さんのスザーンが漆塗り職人になる修行のために、輪島という漆塗り文化のある土地に移住したのだ。旦那さんのクライブは、大手企業に勤めていたのだが、その職をなげうって、スザーンと一緒に、輪島に暮らし始めた。二人とも、英語は母国語なのだからもちろんのこと堪能で、加えて日本語も上手だった。

十月の半ばになると、毎年、英語教室に通っている小中学生に、ハロウィンパーティーの招待状が、夫妻から届いた。

ハロウィンなんて、当時は今ほど日本に根付いてないから、お菓子がもらえるパーティ、しかも仮装をして、となると、子供たちは色めき立った。

私も、毎年、魔女の帽子をつくって、黒い服を着て参加した。(一応仮装であれば、簡単なものでよかったのだ)

記憶がうろ覚えだが、やはり魔女の恰好の子、オバケの子、フランケンシュタインの子、など。田舎町の子どもたちが、それぞれに、母親と準備したであろう仮装で参加する、楽しい会だった。

もちろん、お菓子はいっぱい食べられたし、カードゲームも楽しかった。私の英語能力はいまいちだけど、なんとなくイギリスという国に親しみを持ってしまうのは、クライブ・スザーン夫妻の影響だと思う。

だから、私にとってハロウィンといえば、渋谷の人混みではなく、いつでもあの小さな教室でのパーティがすぐに思い浮かぶ。あの頃の私たちにとって、年一回の異文化に触れるパーティは本当に楽しかった。

渋谷で仮装をする人たちに目くじらたてるつもりは毛頭ない。みなそれぞれに楽しめばいいんだと思う。ただ、あのとき、夫妻がつくりだしていた、ちいさくて温かくて楽しいパーティの空気、それこそが、ハロウィンの「なにかほんとうのもの」だったんじゃないかと思うのだ。

子どもたちが、ちょっと非日常な格好をして、お菓子くれなきゃいたずらするぞ!って少し悪い子ぶっちゃう儀式。私にとって、だからハロウィンは、子どものための祭りなのである。

スザーンは、2017年現在、押しも押されぬ、輪島塗職人のホープとして、華々しくご活躍されている。クライブとの間にできた二人の娘さんは「輪島弁を話すバイリンガル」だと噂に聞いた。

かつてのあの日のハロウィンを、楽しく思いだしながら、最後にスザーンの著作「漆に魅せられて――日本は世界のお兄さんであることを思い出して!」を紹介して終わりにしようと思う。

この本は、生粋のロンドンっ子だったスザーンが、展覧会で漆の硯箱の美しさに魅せられ、日本で職人になることを思い立ち、来日して三十年、その魅力をいちアーティストとして伝え続けてきた素晴らしい自伝である。

輪島に今も住み続ける二人も、今ごろご夫婦でささやかに秋をたのしんでおられるだろうか。また、いつか会いにいきたいと思う。

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