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柳田国男「火の昔」を読んで――古典に触れて自分の書くものを省みる

一本のエッセイを読むときも、一冊の本を読むときも、そのひとつの文章のかたまりを書く際に、どれだけの労力がかかっているかというのは、読者にはすぐにわかるものだ。自戒もこめて、今日のエッセイを書きたいと思う。

実は、コンタクトから眼鏡に替えたら、いままでぶれて見えていた本の見開きが、すっきりくっきり見えるようになり、読書がしやすくなった。それで、積読になっていた柳田国男の「火の昔」という本を読んでいるのだが、本当にこれは素晴らしい本だった。

私の手元にある「火の昔」の文庫本は、角川ソフィア文庫の柳田国男コレクションの中の一冊だ。オレンジ色の和柄模様の表紙が愛らしいが、中身はどうして、ぎゅぎゅっと特濃の内容がつまっているのである。

この本が書かれたのは昭和十八年、ちょうど太平洋戦争さなかのころらしい。柳田国男については、民俗学の権威である大学者さんということくらいしか知らなくて、この本は、私自身が歴史を学ぶために読んでみたいな、と思い購入したものだった。

柳田国男は冒頭で「全体に世の中は、昔よりもずっと暮らしよくなっている。ことに、火については昔の人は苦労をした。そうしてさらに気の毒なことには、そのいろいろの苦労が、もう忘れてしまわれようとしている」と書いている。

この本は、古代の昔から当時の現代(戦時中)に至るまでに、日本の燈火の歴史が、どのようなものであったか、具体例をたくさん入れつつ、子供たちにも非常にわかりやすい文章で、説明されている名著なのである。

中から、印象に残った部分を少し長いが引用してみよう。

昔燈火の材料が得がたく、また得られてもたいへん暗かった時には、今日の普通の活字本などは、とても楽々と読めるはずがありません。昔の本は字が大きく、人はそうたくさんは読まずにしまったからよいが、この夜の燈火の不自由の中で、多くの本を読み多くの字を書いた人は、今の人たちの想像もできぬような苦労をしたのであります。
私の聞いている話でも、昔といってもわずか八、九十年前に、奥州津軽の学者平尾魯仙という人などは、珍しく多くの本を残していますが、それは皆この松の火をともして、その下で読んだり写したりしたものばかりで、そのために油煙のすすでよごれてしまって、毎朝黒ねこのような顔をして起きてきたということであります。二宮金次郎などもそうだったか知れませんが、こういう多くの黒ねこが、だんだんと日本国民をかしこくしてくれたのであります。
もとより恵まれた境遇のもとに学問をした人もあり、中には最大のろうそくの光で書き、または昼間暇があって明るい日光の下で書いている者もありましょうが、以前の民間の学者の著述の、少なくとも半分くらいは、ほたるの光窓の雪ではないまでも、ほとんどそれに近いわずかなあかりの下で、顔もまっ黒にしようし、目も悪くしようし、ひとかたならぬ苦労をしなんがら、人のために働いたのだったということを、この燈火の歴史をかえりみることによって、認めなければならぬのであります。

「火の昔」の解説者石原氏によると、柳田国男の著作は「著者ご自身の綿密な観察によるもの、各地から聞き集めた民俗学的資料によるもの、および本や記録の中から拾われたもの」をベースに書かれているらしい。

すこし読みすすめるだけでも、柳田国男がたいへんいろいろな古代からの風習に通じていて、昔からの道具や、伝承について深く知っていたということがわかる。それは、柳田が、先ほど引用した「黒ねこのようになりながら勉強した人たち」に敬意を持ちながら、自身も、膨大な量の勉強ののちに、獲得した知識を、子供にもわかりやすいように書いた本の一冊が、この「火の昔」なのであろう。

この現代において、古典を読むことのメリットは、ただただ自分の無知を知り、謙虚に戻れるということにあると思う。

いまはネットが発達しているから、誰でも情報をそこに流せて「なにかいっぱしのことを言えた気になる」のが簡単だけれど、もう一度立ち止まって、(なんか本を書きたい人は特に)自分が勉強不足じゃないか、もっとわかりやすい書き方はあるか、などと見直してみるのは必要だと思う。

昔の人が書いて、今もこうして読まれている古典を読むと、本当に、凄い労力を割いて書かれていることが一目でわかるから、引き比べるのは畏れ多くはあっても、自分の書くものについて今一度反省する際の大きなヒントになるのではないか。

燈火で書物を読んだり書いたりしていた、昔の人たちに思いを馳せて、読み終えられた素晴らしい本だった。






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