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小説を書くことは楽しみじゃなくて課題なんだ

こんばんは。最近「上田です」って言ったり「ほしちかです」って言ったりごちゃまぜになってきてしまった私です。どうも。

小説を私はここnoteで多く書いているんだけど「小説を書くことが楽しくて楽しくて仕方ない」という境地には残念ながらなったことがない。

じゃあ私がなんで小説を書いているのかというと、ものごころついたときから「こういうもの(小説)を人生で生きているうちにつくらなきゃ」と思っていたからで、どちらかというと、人生に課された「課題」だと思うとわかりやすいかもしれない。

自分の前に、どうしても登らないといけないと決まっている山や、飛ばないといけないハードルが立ちふさがってる感じ。

正直、あまりに上手くならないので「逃げよう、もうやめてしまおう」と思ったことも、人生で10回以上ある。(主に二十代のとき)

プロになろうがなれまいが、賞をとろうがとれまいが、とにかく「小説を書けるスキルをなんでだかわからないけどどうしても身に着けなくてはならない」と生まれたときから決まっていた感じだ。

でも、二十代の終わりにnoteに出会って、1000字程度の短いものから書き始めて、だんだん少しずつ書ける長さを伸ばしていって、少しずつ、筆が自分の思うように動くようになってはきた。

なってはきたけど「生まれたときに課されたハードル」つまり「人生でこれくらいのものは書けるようになってよね!」っていうものの高さがまだまだ高いので、私は「ううーん、ううーん」とうなりながら「本当に誰が出したんだよこの課題」と泣きをいれながら、小説を書いているのである。

書くことが向いているだなんて、決して思わない。思わないけど、大きな作品をつくらないと、どうやら私の人生は気がすまないようだから、その作品をつくる来るべき日に向かって、一歩ずつあゆみを固めているのである。

それと、このコロナ騒動で改めて身に染みたんだけど「本当に日中のお仕事、大事だ」ということだ。

もちろん日中の仕事が普段通り再開される日を心待ちにしているけれど、そうじゃなかったとしても、なんかしら働いて、働きながら小説をずっと書いていくのが私の人生だということは本当に痛いほどわかった。

でも、このnoteで日々「ものを書くことが好きな」素敵なひとたちに出会い続けていることは、私の人生で本当に思いがけない僥倖だ。

本当に「書き物仲間」がたくさん見つかって、こんなに嬉しいことはない。誰かが、いまこのときも、自分のPCに向かって、文字をつづっている。それがまた、誰かに届く。それらが集まって、光の街ができていく。

ふいに、noteの街のピアニスト、Mary Annさんの名曲を聴きたくなった。

こんな少し寒い春先の夜に、ぴったりだ。


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