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映画「ナラタージュ」への静かな期待

島本理生さん原作の小説「ナラタージュ」が今秋映画になって上映される。監督は行定勲さん。主演は松本潤さんと有村架純さんで、監督や主演お二人の人気から考えても、多くの人が映画館に足を運ぶことになるのではないかと思っている。

映画「ナラタージュ」公式Twitter @narratagemovie
映画「ナラタージュ」公式サイト http://www.narratage.com/

私は島本理生さんの作品を、十年以上ほぼ全作を愛読してきているが、最初に出会った島本作品はこの「ナラタージュ」だった。薄いグリーンの背景に、ショートカットにワンピースの女の子が影絵のように佇んでいる装丁は、紀伊国屋書店新宿南店の大きな文芸書売り場でもとても人目を惹くものだった。私はそこで、初めてこの小説と出会った。大学三年生だったはずだ。

ぱらぱらめくって、静謐で端正な文章にあっという間に魅了され、すぐにレジに並んだ。家に帰って一気読みした。大学生の女の子である泉と、彼女が在学していた高校の教師である葉山の、静かで激しい禁断の恋を描いたストーリーに、私は読み終えたとき自分の知らない場所まで連れて行かれたような気がした。このひどく大人びた長編を書いたのが、自分と同じ年に生まれた女性作家だということも、信じられなかった。

未読のまま映画をご覧になりたい方も多いと思うので、このコラムの中では極力ネタバレを避ける。ただ「ナラタージュ」で描かれる恋は、善悪でははかれない。絶対に、はかれない。透明感のある文章で書かれているこの小説がはらんでいるものは、ときにはものすごく汚くずるい感情や、業火という言葉で表せるような重たい思いだったりもする。そういう点からこの小説作品を否定する読み手にも何人か会った。

私がこの小説を絶賛していた当時、やはり「ナラタージュ」を読了したという大学の女の先輩が、「どうして葉山先生みたいな男がいいのかわからない。駄目でしょ、こんな恋愛」とにべもなく一刀両断していたことを今でも覚えている。その先輩について、私は「すごく健全なんだなあ」という感想を持った。

倫理を踏みこえたその先にある「恋」と名前をつけていいのかすらわからない烈しい感情――さいわいにも私たちは、映画や小説など芸術作品の中で、そのような恋のサンプルに出会い、その波立つ感情を主人公と一緒に味わうことができる。

最近多い、現実社会での生徒と教師の禁断の恋や、不倫の是非については、このコラムでは、私は何も書く気がない。ただ、物語というコンテンツの中の、そういった人の道を外した恋についてまで、不寛容になり、責め立てることはないのではないかと思う。

私たちは、物語を通して、どんな感情をも味わうことができる。人を殺したい気持ちでさえ、刹那的な快楽でさえ、この世のどんな「悪」という言葉で表せる何もかも。でも、そんな物語をすべて、倫理という刀でぶった切るだけでは、私たちは、すごく平坦でつまらない世界にしか生きられないと思う。そういう物語を読んで、自分の中にどんな感情が生まれたか。それを検証するだけでも、世界は彩りをまた深くするのだから。

私が「ナラタージュ」という小説から受け取ったものは、ひどく丁寧に扱わないと壊れてしまいそうな、きらきらしたかけらたちだった。それらはよごれた泥に埋もれてはいたが、手の上でたしかに光りつづけた。道ならぬ恋を描き切ることでそれを手渡してくれた島本さんの作品を、今後もずっと読み続けたい。

最後に、ナラタージュの中で私がいっとう好きなシーンは、ラスト近く、葉山が泉に自分の吸いかけの煙草を渡すシーンだ。泉はその煙草を受け取り、自分もむせながら吸う。映画になったら、さぞ印象深いシーンになると思うので、ここはカットしないでほしいなあと願っている私だ。その後、泉は一人電車に乗るのだけれど――このあたりの絶妙な二人の演技は、ぜひ映画でも観てみたいところだ。

映画上映を待たずして、コラムを書いてしまったが、きっと絶賛される作品になると思うので、みなさんもぜひ上映を心待ちにしていただきたい。

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