どの映画にも、作っている人がいる|映画感想文
映画『フェイブルマンズ』を観た。
かの有名なスティーブン・スピルバーグ監督の、自伝的映画と言われている作品。アカデミー賞ノミネート作品。(惜しくも受賞は逃したけど)
なんだろう。なんか、すごく好きな映画でした。
劇中のセリフにもある「フィルムは真実を映す」みたいなものがテーマだったように思う。(セリフは正確には覚えていない)
主人公が青年時代のある日、家族で行ったキャンプのホームビデオを編集していたら、お母さんが友人に対して垣間見せる「女の顔」に気づいてしまう。
それを機に、お母さんに冷たく当たってしまうのだが、何も知らないお母さんは息子の態度に対して怒り、理由を教えてと怒鳴る。息子は黙ってフィルムを渡す。フィルムの中身は観客には知らされず、それを観るお母さんの顔がだんだん曇っていくのだけが映されるのだが、それがなんとも衝撃的。
またある時は、学校の人気者でいじめっ子の男の子をかっこよく編集したら、周りはすごく盛り上がったのに、なぜか本人のコンプレックスを刺激して泣かせてしまったり。
撮る人の思い、撮られる人の無防備さ、編集の意図、それを観る人の汲み取り方。
写真でも動画でも、人に対してカメラを向けたことがある人なら(さらに編集をしたことがある人なら)、そうそうそんなことあるよねと思えるような、カメラを通した気持ちのぶつかり合いがたくさん見れた。
この映画を見て思い出したのは、不意に撮られた写真が、結構綺麗に写っていて、「あれ、もしかしてこの写真撮った人、私のこと好きなんじゃ…?」と思うような感覚。(この感覚、「あるある」であると信じたい。もし他の人はこんなふうに思うことないのであれば、普通にただ自意識過剰なだけで、恥ずかしい……)
そもそも、「写真撮るよ!」って言って撮ったのではない写真って、撮影者が何かしら心が動いたからシャッターを押してるんだと思う。それが、なぜか綺麗に写ってる、私の「奇跡の一枚」的なやつだったら、なんかちょっと嬉しいし、大袈裟に言うと撮影者の「愛情」みたいなものを感じてしまう。
あれだね。私のこと好きなんじゃ…?と思うと同時に、私も撮ってくれた人をちょっと好きになってる。そんな感覚。
一枚の写真のこちら側に撮影者の存在を感じてしまう。
この映画も、普段見ている映画の「こちら側」に、すごく監督の思いとか、編集する時の気持ちとか、そういうのを強く感じる映画だった。
ラストカットのお茶目さが、それを物語ってると思う。
ちょっと前から密かに抱いている、いつか映画を撮ってみたいという夢が3センチほど膨らんだ映画でした。
この記事が参加している募集
また読みたいなと思ってくださったら、よろしければスキ、コメント、シェア、サポートをお願いします。日々の創作の励みになります。