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星読みと、ありふれた奇跡の発見 - その2

その1の記事につづき、わたしが星読みをきっかけにして感じたことを紹介したいと思います。

トランジットの星読みとテーマ

わたしは毎日のトランジットを読んでいます。月を中心とした移り変わる12視点の助けを借り、自由に想いをめぐらせています。だからわたしの星読みはいわゆる占いのためではなく、想像のきっかけをあたえてくれる道具として見ています。

ネイタルチャートであれば、誕生日の惑星やサインの配置だけを読むのではなく、自分自身の経験や感情、また願望や想いなどたくさんの要素が自然とはたらきかけてくれますが、トランジットの星読みでは、こうした要素は自然とはあたえられません。そのため、ある種のテーマをもつことが役立つように思います。

テーマに対する想いや感情、哲学が星読みのための方向性や動力源となってくれるからです。おすすめできるテーマをひとつ提示するなら、「愛」は何より有効だと思います。愛は対立する関係をもたず、想いをめぐらすたびにわたしたちを成長させてくれる発見に導いてくれるからです。もちろん、どんなテーマをもつことも自由です。

わたしはホロスコープを見て、ひとつのイメージを探ります。文章にすれば1行ほどのイメージです。そこから自由な想像をはじめます。テーマの想いにしたがい、何が見つけられるだろうかと考えます。本をたよりにしたり、日常の会話や出来事の中から連想をすすめることもあります。わたしのホームページでも『毎日の星読み』として紹介しているので、文章のかたちで書きすすめています。

この自由な発想のなかから出てくる自らの考えや言葉に、あっと思わされることがあります。気づきといえるような発見もあれば、もともと知っていたことをほんとうに理解できたと感じることなど様々です。また、書き終えた文章の内容が、その後、日常のなかで発見のきっかけとなることもあります。

その1の記事で書いたように、かつて、わたしの星読みはひとつの感謝を教えてくれました。感謝の想いは、それ自体が次のための作用をしてくれるのでしょうか。あるときの星読みで、わたしは感謝について想いをめぐらせていました。そのとき、あっというひらめきでふいに気づかされたのは、目の前にあるすべての物に感謝できるという事実でした。

それはたとえば、ペンを手にとり1枚の紙に文字を書くという行為の中にさえ無限といえる出来事のむすびつきがあるということへの実感です。工場で作られたものを店で買うというのは、限られた一面にすぎません。はじめにペンという形が生み出される必要があり、また原料となる存在がこの地球に内在しており、ペンを作るものがいて、そのペンをこの場にやってくるように導いてくれたひとつひとつのはたらきがあったということです。

だから目の前にあるペンがまさにこの場にあり、1枚の紙も同じようにこの場にあり、わたしが何ら特別な努力を必要ともしないまま、腕や指の筋肉を適切にはたらかせ、ただ自然の摂理にしたがってペンが紙をこすると同時にインクは紙にしみこんで文字を書き記すことができるのです。この単純な出来事を生み出すために、その背後では、わたしの想像ではとても見えないほどの無限の結びつきがあることを感じられたのです。

このペンと1枚の紙の関係は、世界、はては宇宙すべてにも当てはまります。物、人、気温、食べ物、呼吸、音、そしてこの何もないように見える空間の存在……ありとあらゆるものが、わたしたちを取り巻くこの場で無限の結びつきではたらいていることが見えてきます。その無限のどれひとつを欠いても起こらない出来事が、まさにわたしたちの目の前で起こっています。この驚くべきはたらきに対し、これまでなぜ当たり前のように見ていたのだろうと不思議に感じるほどです。

あらゆる存在というものは、ほんとうに奇跡的といわないで何と表現することができるだろうと思います。どのような物をどれだけ所有しているかどうかは関係なく、わたしたちは誰もが同じようにこの満ち満ちた奇跡の中に包みこまれています。あらゆる存在がまさにこうして表現されていること自体に感謝を抱くことができるのです。そしてまた、これはわたしたちの精神や肉体のあらゆる機能に対しても同じことがいえるわけです。

わたしは、自由に読む星読みが大きなはたらきをしてくれることを実感しています。だからこそ、誰でも、もっと星を自由に読んでほしいと願っています。自由な発想で読む星は、惑星やサインの意味のなかでこたえ探しをするだけではなく、いつでも星の外に出ていくことができると思うのです。もちろん、星をつかわなくても、たくさんの教えを学ぶことができます。何を選ぼうとも、きっと、わたしたちがありふれた奇跡に目をひらくことができることに変わりはありません。

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