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星読みと、ありふれた奇跡の発見 - その1

わたしの星読みは、ごくありふれた感覚でものごとを見つめることです。世界には、人生を読み解くほどの特別な力のある星読みが存在するのかもしれません。でも、わたしの星読みはごくありふれた世界で、ごくありふれた想いを自由にはたらかせるための道具です。

ここでは、わたしが星読みをきっかけにして感じたことのいくつかを紹介したいと思います。特別ではない星読みに大きな発見があったことは、誰かにとってもまた大きな発見の可能性があるかもしれないからです。

トランジットで見る毎日の星読み

トランジットとは、特定の日付けをもとにしたホロスコープでおこなう星読みです。誕生日のホロスコープ(ネイタルチャート)で自分を見つめるように、トランジットは世界のことを見つめます。占いという観点では世界の動向を知りたいという目的になるかもしれませんが、わたしの星読みでは、最初に書いたとおり、星を感じ、その想いを自由にはたらかせるための方法です。

トランジットが有効に感じられるのは、星のあたえてくれる視点が、毎日移り変わってくれることです。だから、自分のホロスコープでは見えてこない発想があります。

わたしの星の学びをさかのぼると、12星座の意味を、やはりラベリングのようにとらえていました。いわゆる星占いです。太陽○○座の人はこういう性質、△△座の人はこういう性質というものですね。こうしたパターン化は、読み方としてはとても簡単です。でも同時に、星の枠にこじつけているような気もするのです。

わたしってこんなタイプとして表現できるかな? 他の人たちのことも、こんなに単純にラベリングしていいものかな? と思うと、やっぱりどこかちがうなあと感じてしまうのです。そうした疑問を抱きながらも、たくさんの星読みの本を手に取るうちに、星の配置はこたえではなく、ものごとを見つめるための出発点にすればいいのだと分かりました。ものごとを見つめるための出発点にすぎないのであれば、星読みには何もまちがいがなくなるからです。

わたしのひとつめの扉は、「山羊座」でした。サインの意味としては「ものごとを成し遂げる実力者、権力者、現実主義者」のように表現されます。また、全体をとりまとめるリーダーのような、集団の中心的役割とむすびつけられます。

ところで、わたしのトランジットの星読みは、月を中心にして、ものごとを見つめるきっかけにしています。およそ1カ月に2~3日、各星座の視点に想いをめぐらすことになります。わたしたちの誰もが12星座のすべての性質をもっています。ひとりひとりの牡羊座があり、ひとりひとりの牡牛座があります。完全な12視点とはいえない偏りはあるかもしれませんが、それでもそれぞれの視点に立ってものごとを見ようとする試みは、普段は見すごしがちな想いに目をむけるために役立ってくれるように感じます。

つまり、わたしはトランジットをたよりにものごとを自由に見つめ、想いをめぐらす試みをしているのにすぎず、誰のことも星で占っているわけではないのですが、SNSやブログでこうした想いを表現したとき、反発する返事をもらったことがあるのです。たぶん、太陽星座が山羊座の方なのだろうと思います。一般的には、占星術、山羊座というキーワードがあれば、自由に想いをめぐらせているだけであっても、太陽星座を占っているように見えてしまうのかもしれませんね。

そんなつもりではないのになあと悲しく思う一方で、どこか納得できる部分もありました。山羊座の意味する性質に対して、わたしが内面では批判的な想いでとらえている部分を感じていたからです。権力とかってイヤだなあといった具合で、心のなかに自分の性質とは合わないと感じている部分を山羊座とむすびつけて見つめていたからです。言葉の上では肯定的に表現しているようであっても、きっと、想いはにじみ出てしまうのです。

(※しつこいようですが、わたしが合わないと感じていたのは、いうまでもなく太陽星座が山羊座の人たちのことではありません。わたしの価値観において、山羊座性質の意味する世界観を批判的にとらえていたという意味です)

反発の返事は、ある意味では学びのメッセージでもありました。反省の必要性を感じ、12星座にあるのは違いだけなのだから、批判的なイメージではなく、全てに肯定的なはたらきがあるはずだと考えました。そもそも12の性質すべてをほんとうに自分の内側にあるものと認めるなら、どれも批判的に見ることはできないはずです。それで、じっくり思案しました。

わたしなりのひとつの発見は、社会全体を支えている人たちのはたらき、電気、ガス、水道のようなインフラはもちろんのこと、お店や家庭など、どんなものであっても、ひとりひとりの生活が守られているこの環境そのものに山羊座の性質を見ることができるじゃないかということでした。そしてまた、リーダーというのは「権力=圧力=悪い」といった構図で見るべきものではなく、求められ、必要とされる力であって、全体をまとめあげ、秩序を保ってくれる力なのだと気づきました。

すると、それまで批判的にとらえていた性質が、単に自分では発揮できない面として見えてきます。そして、この面を活かすことができる人たちや社会を支えてくれている見知らぬ人たちに、それまで忘れていた大きな感謝が起こるようになりました。

トランジットの星読みからは、こうした想いの転換点があたえられることが度々あります。星の読み方もおのずと変わります。星読みは、定まった意味の中だけで読まれるものではなく、自らの想いによって大きく変わるものだということがわかります。

また、それにともなって世界を見る目や関わりかたも変わるように感じます。わたしの場合、たとえば今まで手にとらなかった本を読み、色々な感動やより多くの学びがあたえられました。

よくある話だねと思われるかもしれませんね。でも、わたしの中では、こうした出来事のそれぞれが小さな奇跡のように感じるのです。星読みの必要性は不可欠ではないのですが、それがひとつの道具として役立ってくれる実感があり、誰でも自由に星を読むことができたらなと思うのです。

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