見出し画像

安原さんの「ものを見る眼」についてー『美を求める心』より

安原喜弘さんと小林秀雄さんは中原中也を語る上で欠かせない人物である。安原さんは中也が一番孤独な時期である「魂の動乱期」に近くで支え、『山羊の歌』の出版へ向けて尽力した人物である。そして小林さんは「奇怪な三角関係」に陥ったものの詩の本質を理解し、中也から『在りし日の歌』の原稿を託された人物である。安原さん、そして小林さんとの間にはそれほど大きな繋がりは無かったようにみえるが、安原さんが書いた文章に興味深いものがあった。

『私には君はなにしてるんだというから、京都の大学で美学をやっているというと、「美学かあ」とちょっとおどけた表情でいい、(中略)私は色が好きだというと、彼は「君は目がきれいだから色がよくわかるだろう」というようなことを言われたのを覚えている。』   (安原喜弘 「小林秀雄の思い出」)

これは安原さんが大学生の頃に中也に連れられて田端にあった小林さんの家へ向かい、そこで初めて小林さんと会ったときに交わされた会話である。

小林さん曰く、安原さんの目は綺麗なのである。ここでの「目」は身体の部位そのものを指している訳ではないだろう。

この話を読んでいて、一つのエッセイを思い出した。それは小林さんがのちに書いた『美を求める心』である。恐れ多くも要約させていただく。

ある一つのものを対象にして見る際、細部までじっくりと観察する者は少ないと筆者は語る。例えば外を歩いていて菫の花を見つけた際に、大半の人は「菫の花だ」と認識してしまえばそれで見るのをやめてしまう。しかし、美を解する心のある者はそこで見るのをやめない。微妙な色の変化や形まで見ているのだという。画家は対象物(ここでは菫の花)のそのような微妙な変化を見て感じて、それをキャンバスに描くのである。では画家はその時どのような心持で対象物を見ているのか。それは対象物への「愛情」だという。愛情があるから見飽きずにずっと見ていられるのだという。見る力というのは誰にでも持ちうる能力ではあるが、養い育てようとしなければ衰弱してしまうものである。そして優しい感情を持っている人こそ美しいものの姿を正しく感じる能力があるのだと筆者は語る。

つまり小林さんの「色がよくわかる」というのは『美を求める心』で語られているように、微妙な色や形の変化を感じ取る力を安原さんは持っていたということを伝えたのではないだろうか。


次に紹介したい作品は中也が1932年に書いた未発表小説『青年青木三造』である。この小説では筆者・中也の目線から、友人である青木三造の心情が語られているものである。三造は安原さんがモデルだとされている。いくつか引用させていただく。

『今、三造は、世間の知らないことを感じてゐる。(中略)世間が知らないことを感じてゐる者は、それを明白な形に迄して、世間に呈出する方がよいのである。』(中原中也「青年青木三造」)
『彼ははつきりした現在を持つてゐる。彼の眼は絶えず微妙にも正確な角度をなして活々としてゐる。それゆえ彼には対象を名命し形容するすべての言葉と、その正確な眼との間の隙ばかりが気になる。彼は朴訥であるのでその隙ばかりみてゐて容易に名詞も形容詞も口にしようとはせぬ。』(同)

中也もまた、安原さんが正確にものを感じ取る能力を持っていたことを見抜いていたのではないだろうか。


最後に安原さんの「ものの見え方」について述べている文章を読んでみよう。以下に引用するのは1928年に安原さんが初めて中也と会ったときの眼の印象について述べたものである。

『私はこの時まで人の眼というものについて殆ど無関心であったが、彼に会って以来最早単に無関心ではあり得なかった。私は改めて自分の周囲を見廻し、我々の住む時代の同胞の中には何と濁った眼の多いかに気付き吃驚したのである。(中略)彼の眼は深い不安を宿してはいたがその光は飽くまで澄んでいた。』(安原喜弘「中原中也の手紙」)

安原さんの「ものを見る眼」の能力は知識が増えても眼の働きを疎かにすることなく、養い育ててきた賜物だったのであろう。


【参考文献】

安原喜弘『小林秀雄の思い出』(『中原中也研究』第六号 平成13年 中原中也記念館)

小林秀雄『読書について』(平成25年 中央公論新社)

安原喜弘『中原中也の手紙』(平成22年 講談社文芸文庫)

中原中也・大岡昇平ほか『新編中原中也全集』第二巻 詩(平成13年 角川書店)、第四巻 評論・小説(平成15年 角川書店)

【写真】

「スミレの花」上野 紋さんの写真をお借りしました。 ありがとうございました。