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キャラバンからはぐれて 他

【キャラバンからはぐれて】

「太陽は僕を見棄てたのかな?」

君は、日が落ちて急速に冷えて行く大気から身を守るように、毛布を被りながら呟いた。

せつなさが闇に紛れて、ヒタヒタと君を冷たく責め立てる。

「駱駝の睫毛が好きだ。」

君はごく薄く色を表した月に語りかけた。
暫くすると、空は漆黒のその皮膚から無数の光を放ち始める。
それは、遥か彼方から気の遠くなるほどの旅を経て君に届くために、疲れはてチラチラと息も絶え絶えではあるけれど、その息は彼の溜息を誘う位綺麗だったと、君は彼女に話してくれた。

遠い記憶の砂漠のような夜の思い出なのだと言う。

まるで、灼熱の砂の上をゆっくりと何かを標に無言で旅を続けていた、そんな時のふとした瞬間に何もかもが忽然とこの世から消えさってしまった夕暮れに、君は駱駝の睫毛を想いながら、朝を待ち続けたのだと。

幻か夢なのか、しかしそんな孤独な夜があったのだと、君は彼女に優しさの限りを尽くしたような細い声で語った。

彼女は君の睫毛を見ていて、自分の瞳に溢れるものを止めることが出来なかった。

キャラバンはゆらゆらと地表と空の境い目に、憂いを漂わせて、まだ進んでいただろうか。
駱駝は振り返らずに、何かを食むように独り言を呟いただろうか。

星(☆

2017年7月3日
【心を削る仕事】

彼女の正面に立つと、彼はいつものように笑みを零れ位溢れさせて、彼女の両肩に手を置いた。

「貴女は素晴らしい。」

ともすれば大袈裟に取られる仕草と言葉で、彼は彼女を褒める。

彼は、生きることが困難な環境の中で、孤独に膝を抱えうずくまっている人々を、優しく手を差し伸べて救いだす仕事をしている。

彼が時折見せる険しい表情は、その孤独を生み出した人や行為や仕組みにしか、投げ掛けられないことを彼女は知っていた。

それは、とても鋭い視線であり、どんな恫喝よりも容赦なく向けられたが、同時に非常に静かなものだった。

「時に、人は流されて弱き者たちは置き去りにされる。」

彼が呟くように語った言葉をか彼女は咀嚼しながら、自らもまた弱き者たちの救済の手立てを考えて来た。

素晴らしいのは、貴方よ。

彼の言葉をめぐらせるとき、彼女はそう思う。

満面の笑みを湛えて、彼にそう言葉を掛けることはこれからもないだろうけれど。

夕暮れになって現れた、ほんの少しの晴れ間を彼女は見上げて、今日初めて微笑んだ。

星(☆

2017年6月27日
【24歳の彼を想う】

死の淵で、彼はホスピスの木漏れ日が射す部屋で、彼女と短い会話を交わしていた。

彼は言葉を発することが叶わなくなっていて、文字ボードで彼女に言葉を伝える。
彼女が顔を近づけると、彼の指は彼女の唇に触れた。

それは、彼女と彼の共有して来た不思議な哀しみに似て、柔らかで優しい温もりを持つ指先だった。

彼女は彼の瞳の色を探る。

彼女は、物静かな父が弟のランドセルを、時折丁寧に磨いていた事を思い出す。
その深い茶色に、彼の瞳は似ていた。

人が生まれ持つ、哀しみを彼女はいつ感じたのだろうと、手繰り寄せた。

何でもない、時の狭間にそれはふと現れる。

彼女は、思春期の夏休みの昼下がり、誰も居ない伽藍とした座敷から眺める庭にそれを感じた。

そして、彼と初めて出逢い共有した。
雄弁に語ることもなく、人は誰にも伝えられない、胸の芯を共有するのだと、彼女は知った。

それは、恋ではなくてある種の愛だった。

それぞれに恋人も友人も日常も持ちながら、彼女と彼は夕暮れに二人で過ごす。
スケートボードをしたり、ドライブをしたりとりとめのない時は何年も流れた。

二十歳と二十一歳の出逢いから、その時は静かな霧のように彼らを穏やかに包んでくれた。

彼女は年に何度かこんな朝を待つ。
空が白々と明けていき、彼の頬と瞳とそこに漂う木漏れ日の波動を、いとおしく撫でながら。

星(☆

2017年6月24日
【6月の薔薇】

久しぶりに彼らがやって来た。
彼の妻は、両手に薔薇の束を抱え彼女に差し出した。
季節限定で、その人は薔薇園のお手伝いをしている。
その季節も終わりに差し掛かり、薔薇の花を彼女に届けに来たのだ。

5月のそれより、優しい香りを放ちながら、薔薇は彼女の胸に抱かれた。

「うん?何かあった?」
彼が聞く。
「何か?何もないわ。久しぶりの休みに素っぴんで草むしりよ。」
「若返ってない?」
そんな会話が薔薇を掠めて交わされる。

何もないけれど、新しい花を植えたの。

彼女は音にはせず、今朝植えた花の苗を見た。
忙しくて見過ごしていた庭に、小さな花が芽吹いていて、いとおしくてね。

雨は夕方から降り始めるという。

彼らはいつものように、その人生を変わらず二人で歩いて行く背中を彼女に見せて、遠ざかる。

彼らと彼女の狭間に、薔薇はなにも言わず居てくれた。

星(☆




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