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「意識のセッティング」の話。

今回は気まぐれで、普段はブログで書いているようなことを、こちらに投稿してみるのも面白そうだなぁと思いまして、やってみた次第でございます。たまには詩以外の投稿をするのも、気分が変わっていいかもしれませんし。



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母親が買い物へ行こうとしていて、そういえば母親にばっかり買い物をさせているなと思い、代わりに引き受けることにしました。誰か一人が買い物役を引き受け続けるのは、コロナウィルスの影響下ではリスクになり得ると思ったし、不公平だとも感じたからです。ただ、判断として正しいかどうかは分かりませんね。


買い出し役をグループの中でローテーションしたところで、そのうちの一人が感染すれば結果は同じ事だし、下手をすると数人が感染する可能性もある。だから、買い出しに行く人を一人に絞った方が、その人だけが感染のリスクを引き受けるので、対応しやすいともいえます。ただし、これは人情味に欠けた判断でもある。


長期化を見込んで考えるなら、ウィルスに感染しても十分回復の見込みのある人間がひとり、率先して買い物に行った方が、家族としては一番リスクが低くなると感じます。だからなるべく日用品の買い物なんかは、今後私が引き受けようかと考えています。


まあそれで、買い物を引き受けて出かけて行ったら、駐車場の隅にバイカーの集団がいたんです。「え、こんな時期にマスツーリング(集団のツーリング)かよ」と感じました。見た感じは50代以上の年配の人たちでした。10人くらいいたかな。みんなハーレータイプのアメリカンな愛車で来ており、格好もそれに合う感じでしたね。マスクなんてせず、密集して会話をしてました。こっちが買い物を済ませて出てくると、もう誰もいませんでした。


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その人たちを簡単に非難は出来ないにしろ、「危ういよなぁ~」とは思います。ツーリングはそうそう誰かと接触のない行為で、ただ走っている分にはそこまで問題は無いんです。でも、走っている最中に温泉に入りたくなったり、ラーメンが食べたくなったりと、急に別の欲求が湧いてきやすいんですよね。そうなると、今の状況下では怖いものがある。


マスツーリングともなればみんなで行動を共にします。みんなで温泉に入ったり、なにかを食べたりするわけです。バイク乗りは行動範囲が広い人が多いので、県を跨いでどこかの道の駅に寄ったりもする。現在の状況下を踏まえて、あえていうならば、彼らは「動く三密」なわけです。常ならまるで問題なくても、今のデリケートな情勢の中でそれを行うとしたら、かなりデリカシーの無い行動になり、避難の対象になるでしょう。


あと、これは個人の意識のセッティングの問題でもある。つまり、「何かをして遊ぶ=誰かと集まる」というセッティングに囚われている部分もあると感じます。満足するのに、誰かと一緒にいなければいけないとか、誰かと何かを共有しなければならないという価値観に慣れている人は、「三密」を避けよと言われる状況であっても、意識を変化できない部分があるのでしょう。


だから、「何かをして遊ぶ=ひとりで楽しむ」という意識のセッティングができるような体験をすることで、行動を変えることはできると思います。実際いまネットを開くと、家の中で個人でできる趣味を薦めている記事も多いので、意識を変えるきっかけに触れやすい環境ですよね。コロナウィルスとは長期戦になりそうですが、その戦いが終わったときに、前よりも豊かな自分になっているのが、私は理想だと思っています。





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