ひっきーのにっき【文章を書くことと、絵を描くこと】

ときどき
無性に
静かに当たり前のように
水を飲み始めるときがある
その水は私にとって「文章を書くこと」だ

言葉は乾燥したこころに
潤いをもたらす
それを誰がみるのか
だれが評価し
だれが喜ぶのだろうか?
きっと
前に進もうとするわたしという人間が
最もその言葉たちを必要とし
楽しんでいるのだ

大人になると
泣いたり笑ったり怒ったり
そんな感情を素直に外に吐き出せなくなる
だから言葉というものを知るのだろう
その言葉を使って表現した想いを
たとえ誰も聞いていなかったとしても
たとえ誰にも見せなかったとしても
「たしかに自分が存在している」
という確認のために
言葉の水たまりを作るのだ
「ただ形にしたい」という欲求のままに
しかしその欲求の源は
「自分を知りたい」という思い
なのかもしれない

反対に
ジメジメと湿ったこころを
乾かしてくれるのが
私にとって「絵を描く」ということだ
その行為は
幼いときから娯楽として
自分のすぐそばにあった
他者を喜ばせたいがために
私そのものを表現するために
えんぴつをにぎると
いつのまにか
自分の知らない世界がひろがっていた
何度でも会いたくなるんだ
たとえ下手なその絵でも
それは愛すべき自分そのものだから

この2つの行為は
交互に行われることがあるが
私にとって必要不可欠なのである

詩や小説などを書いている時
私は放浪している
休息をしたり 回り道をしたり
とんでもなく遠くまで行ったり
千鳥足で たよりなく歩いていたり
時には後退しているようにもみえるが
どうやら何かを得るというよりも
「味わうこと」を目的としているようだ

絵を描いている時
私は燃焼しながら前に進んでいる
能動的で 楽観的で ひどく冷静で
サイコパスのような部分もあるが
それがないとなんとも自分を解放できない
それがないとなんとも自分になれない

この2つは人生という旅をする上で必要で
わたしはこれからさきも
どちらもすぐに楽しめるように
両方のポケットに入れて歩き続けるだろう

ときおりどこに向かっているのか
分からなくもなるが
文章を書くことと
絵を描くこと
これがあるなら
これから先も遠くまで歩いて行けそうだ

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