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インドの時代の到来と仏教 ~今だからこそ仏教と日本の関係性を考える~

台頭するインドへのエール

 「今インドが熱い」これは地球温暖化による気温上昇のことではない。勿論、インドの今も昔も暑い国であるが!今回のテーマは、インドの政治的、経済的な台頭が、世界におけるインドへの注目度を上げ、世界から評価される存在に急成長、というより急復興している事実を指す。
 今やインドは、その人口において数年後には中国を抜き世界一位に、更にその人口構成において健全なピラミド型を形成するために、この先数十年の健全な国力の発展が見込まれると云うことで、その将来の発展、世界への貢献が大いに期待されている。
 裏を返せば、これまでのインドは巨大な人口増加の重圧、カースト制度という社会差別から生じる非効率な社会、加えてヒンドゥー教を筆頭に、少数派とはいえ日本の人口を遙かに超えるイスラム教、一億人に近いキリスト教、更に仏教、ジャイナ教、シク教、そして今や絶滅危惧宗教(?)化しつつある古代宗教の雄ゾロアスター(インドでは、一般的にパルシー)、そして古代アニミズム的な古代信仰と多様な宗教が錯綜する混沌とした国として、非合理、非能率、不可解であるが、それ故に「魅力を持つ国」というような余り芳しくないイメージで語られることが少なくなかった。
これが嘗てのインド認識であった。尤も日本では、仏教発祥の地であるインドへは、一種独特の認識、つまり天竺、あるいは釈尊の生誕地として理想化されたインドと経済的に停滞し、貧困と混乱に喘ぐ貧しい国インドといういわば両極のインド観である。つまり、過去数世紀のインドの衰退、その当該地域の社会的な衰退への幻滅の一方で、宗教的な郷愁が、現実逃避的インド像つまり、現実の悲惨さを敢えて認識することなく、仏典に書かれ、また理想的に語られてきたインド観に止まろうとするインド観である。
 この両極のインドに戸惑ったのは、インドの古典的な宗教や文化を学び、更にインドの宗教を専門とする筆者にとっても偽らざる現実であった。釈尊の生誕地、様々な思想や宗教を中心に多様な文化が花開いている国インド大きな期待を持って留学した1980年代初等のインドは、政治的にも、経済的にも低調で、しかも後に紹介するシク教の独立運動の激化、相も変わらぬ貧困、政治的・社会的な混乱状態が続き、決して誇れる状態の国家ではなかった。
勿論、インド好きの筆者は、それを含めて、否それ故にインドへの魅力を感じていた。とはいえ、上述の負の部分は確実にインドの国際的更には文明レベルでの評価の逓減を生じ、更に1980年代は、それらの混乱が一層の負のスパイラルを生じていたのである。
 因みに、筆者の留学の足かけ3年の間に、インドのルピーは24円から6円程に下落したことが、その情況を象徴していた。この当時のデリー大学の学生達のインドの将来に対する認識は、悲観論、諦観に溢れていた。
 しかし、1990年代の政治的、経済的危機を境に、インドは大きく変貌した。特に、伝統的に数理領域に優秀な人材を豊富に生み出してきたインドの僥倖は、世界のAI化であった。衆知の様にコンピューターの2000年問題の解決に多大な貢献をしたのは、そのインド人の技術者であった。彼らは嘗ての重厚長大の産業構造とは全く異なるいわば紙と鉛筆だけで、富を生み出すプログラミングのいわば天才達であり、加えて生活に質素で、忍耐強い強靱な生活者でもあったが故に、世界中でコンピューター技師として成功を収めてた。その傾向は21世紀においてはまさに昇り龍のような勢いで、富と名声を獲得した。特に、コンピューター文明とも云える高度情報化社会の産業構造は、インド文明が培ってきた数理的な厳密さと壮大で且つ複雑な思想や宗教世界が育んできたそれこそ豊かすぎる空想力が、大きな武器となり、今や世界のコンピューター関連産業に、インド人の存在は欠かせないものとなっている。
 それに比例するように、前述の様にインドの国力もまた世界への発言力も増大している。その意味で過去数世紀に亘るインドの沈滞の時代は終了し、嘗ての様な輝くインドの時代の到来が期待できる訳である。勿論、本小論はインド礼賛の為に書かれているのではない。がしかし、インド発の宗教である仏教を、国家確立期において、その根本として受け入れ、以来ほぼ1500年の間、仏教を信奉し、その故国インドを理想化してきた仏教徒にとって、仏教の故国の衰退は、決して喜ばしいものではない。
 その意味で、インドの復興あるいは再興隆は、今や仏教が実質的に衰亡したとはいえ喜ばしいことである。というのも、「現在のインドには仏教は殆ど存在しない」と云えば事実誤認となるが、その数は1956年にインド憲法の起草で有名なアンベードカル(1891~1956  )博士が率いる最下層階級のマハールの人々を中心に、主に低位カーストの人々に急速に広まっている新仏教徒を除けば、ベンガル仏教徒とヒマラヤ山麓のチベット仏教徒に限定され、インド社会全般への貢献は、決して大きくはない。
 とはいえ、インドの隆盛は、インドへの関心を再び呼び起こす。そうなると、仏教徒としての日本人には、紀元前後の数世紀インドの社会的発展を担ったとされる仏教が、なぜインドから世界に伝播し、各地の文化、文系を今日に至るまで支え続けてこられたのか、その理由に関心が湧いてくる。一方で、なぜ仏教は、インドにおいて衰退してしまったのか、という疑問が益々わいてくる。
 その様な疑問に、インドの宗教を広く文明学から考究して来た筆者40年の研究成果の一端を、以下においてごく簡単ではあるが紹介させていただくことが、本小論の目的である。
  
インドをより正確に理解する為に

 インドは時間的、空間的な広大さに加え、人種、言語、文化、宗教等の要素に於いてまさに複雑多岐である。この現実を象徴的に表わしているのが、インドの顔とも云える紙幣の図柄である。論より証拠で、写真を見れば一目瞭然である。インドの紙幣には、18種類の文字と数字で金額が記されている。文字の種類もインド固有のデーバナーガリー文字系統、南インド由来の貝の様な文字系統、そしてアラビア文字系統、更にローマ字(英語)、チベット文字、そして数字である。因みに、日本ではと云えば、殆ど指摘されることはないが、日本の紙幣には、日本独自の文字表記はない。


https://www.travel-zentech.jp/money/banknote/p07_india_zoomin.htm より

つまり、漢字とローマ字、そして数字での表記はあるが、カタカナや平仮名での金額表記はない。つまり、「ヒャクエン」あるいは「ひゃくえん」という表記はないのである。この点を見るだけでも、自文化あるいは文明に対するインドと日本の考えかたの違いが明確となる。
日本は、国家の顔とも云うべき紙幣に、自ら編みだし用いている、いわば文化の中心用具とも云える文字(片カナ、平仮名)を、用いていないのである。勿論、片カナ、平仮名等という表記辞退実に自虐的で、とても自らの文化更には文明に誇りを持っているとは思えない。この点は、後に日本文化や仏教に関しての考察に於いて、詳しく考えて見たい。
因みに、インド同様多くの民族を要する中国の紙幣では、漢字と数字、そして中国語表記のローマ字表記となっている。さすがに何事にも一元的な統一性を求める中国文明らしいデザインである、といえないだろうか。




    https://www.bing.com/images/search?view
 この様に、インドは多様性を重視する、あるいは現実をそのまま受け入れる。更に云えば雑居性、不統一をそのまま受け入れる、あるいは放ったらかして頓着しない文明形態、ということも云える。所謂雑華、華厳の世界といえば分かりやすいかもしれない。勿論それは後にのべるように、表面的な世界においてのことであり、諸々の現象を多様に発言させているその背後にこそ真理の世界、唯一の世界がある、というインド的な二元論的世界観があるからこそである。ここのインド思想や宗教の深さと呼ばれる特徴を見出すことが出来るのである。詳しくは、次回以降で。
さて、この様に多様且つ多元的なインドを理解する為には、多少の準備が必要になる。しかし、日本人には、日本文明の母とも云える仏教を生み出したインドの多様性対して、かなりの耐性(理解がし易いという意味)がある。とはいえ、仏教と歩み続ける日本仏教の今後に関しても、インド文明との比較を通じて検討してゆきたい。
 とはいえ、インド文明そのもののも巨大さに加え扱うテーマの大きさを考慮する時、不可欠となるのがその分析の方法論であるが、更に云えばその方法論を基本レベルで支える言葉の正確な定義、少なくとも用語概念の多少の統一作業が不可欠となる。
 勿論、ここではそれらを詳細に検討するわけではない。が、日本人がインドを理解する上で、最も基本的且つ重要な概念用語として「宗教と文明」に関して、簡単に検討する。
 というのも、日本人は自国文化やその伝統に対して、屈折した感情を持ち、しかもその屈折の仕方もかなり独自であり、更にその特異性を自覚さえしていない。その為に、他の地域を理解に少なからぬ支障を来すことがある。
 特に、インドの様に宗教と社会が深く結びついている地域理解には、以下の様な日本独自の宗教観が一般常識化しているために、負のバイアスの懸かった理解になる傾向がある。この点筆者は、既に各所で指摘してきた通りである。つまり、日本人は、平均すると約7割の人が自分は無宗教だと認識する。その為に、宗教に無関心、あるいは嫌悪しているのか、といえば決してそうではない。例えば、一年の初頭を正月という神道の宗教行事により祝い、一年を通じて、多様な宗教の祭りを祝う。今やクリスマスは、日本文化に定着し、最近ではハロイン等という祭りまで意味を考えずに、祝うようになっている。その内には、イスラム教の祭りも祝うようになるかもしれない。勿論、この場合、日本人は各種の祭りのそれぞれの宗教における意味を考えずに、兎に角形さえ真似ればいい、というような日本文化の特徴が顕在化している部分である。

宗教という言葉が生む誤謬

 とはいえ、このような表面的にせよ多様な宗教、異質な文化の習慣を抵抗なく受け入れられるのも、実は日本とインドにおける根源的な類似性によるものである。それが所謂多神教文明の特徴なのである。
 閑話休題日本独自の宗教観は、近代以降政治的に形成されたもので、「宗教を信ずる者は寝病騒のうちにある者」とか、「宗教は女子小人の寄る辺」というような、宗教蔑視感が支配的である。それ故に、日本を震撼させたオウム真理教事件の時に、東大や京都大学、あるいは早慶といった有名大学の出身者が多数事件に関わった時「何で、○○大学出身者のような優秀な者が、オウムなんかの宗教にだまされたのか」的な疑問が、盛んに発せられた。つまり、この言葉の裏を返せば、現代の宗教という言葉には、「宗教に関わる者は、何らかのハンディーを負った劣った人間」という隠れた意味が醸成されているからである。
 何れにしても、今又韓国のキリスト教系新宗教である旧統一教会の問題が盛んに論じられている。が、しかし、この場合も宗教の本質への議論は為されず、その本質への肉薄は為されていない。というのも、基本的に近代の日本社会において、宗教に関わることは前述のような「宗教」領域へのマイナスイメージが、潜在的にあるからである。

文明と宗教の概念図

 しかし、インドを理解する為には、宗教は最重要な要素であり、宗教の正しい認識なしに、インドを理解すること、更に云えば仏教を理解することは出来ない、といえるのである。
 というのも、宗教こそは、文明と我々が呼ぶ時間的、空間的な限定を持つ最大の認識概念とも云える統一的に支える基本要素だからである。やや抽象的であるが、言葉を換えれば宗教は、数百・数千年間に亘り特定の聖典などが提示する価値観が、統一的かつ繰り返し再生、拡大されることで、時間や地域を越えて、均一の情報が統一的に共有され、再生産され続ける、殆ど唯一の情報体系なのである。
 それを図式化したものが、以下の文明のCTスキャン図である。これは文明の各構成要素の関係を、比喩的に表現したものである。この図の特徴は、従来の認識では、宗教派文化の一部という認識が趨勢であったが、そうではなく宗教こそ文化は勿論、政治・経済・科学技術などの各領域に一貫して関わる存在である、という基本認識を示している。しかも、CTスキャン図としたのは、それぞれの要素は時代や地域により関わり方を自由にかえるのみならず相互に関連し合っている、という文明内の各要素のダイナミズムを表わしたものである。




 だからこそ、文明理解には宗教の存在が重要である、という理解である。
 そしてこの比較文明論の視点から、インド文明を簡単に鳥瞰すると、その変化のダイナミズムは、以下の様に整理される。詳しくは、今後検討するが、大まかな分類は、以下の様になる。ここで云うインド文明とは、インド亜大陸において展開されてきた長く統一的に継承されてきた生活洋式(文化、政治や経済更には科学システムなど)に加え、多様な宗教が織りなす社会形態を指すこととする。
 つまり、インド亜大陸に発生し、時間的空間的に統一的に把握できる最長・最大の対象をインド文明とする、ということでええある。勿論、この文明が文明たる所以は、単にインド亜大陸に止まらず、その文明要素が、他の地域に伝播し、定着し核地域で統一性を維持しつつも独自に発展したという、普遍性を持って初めて文明が、真に完成する。
 とはいえ、このインド亜大陸の特徴は、西ヨーロッパ諸国を合わせた程の広さと、現在に至っては17億人にもなる人口を有する広域に、様々な宗教を基礎に多様な文明形態を展開してきたことである。但し、各時代を一々小さく分類すると煩瑣なので、インド亜大陸に展開してきた文明形態を総称して、インド文明と呼ぶ。その上で、それぞれの宗教の特徴を踏まえて、インダス文明とか、バラモン(後にヒンドゥー)教文明、仏教文明、イスラム文明、そして近代文明(より正確には西洋近代キリスト教文明)期とその時代に優勢な宗教や政治支配を基に分類することが出来る。この視点は、一応の分類法であり、それぞれの時代が輪切りのようなっているわけではなく、インド文明の特徴である多様性の上に成り立っている。つまり、近代文明においてもその基礎には、ヒンドゥー、イスラムの文明形態が、しっかりと継承されていたと云うことである。
 この様な多様性を大河の複雑な川の流れ、あるいは多くの幹を持つ菩提(バーニヤン)樹の用だと形容されるのである。


しかし、インド文明という大きな概念の中に、それぞれの宗教を中心として、小さな文明で形成されている、というロシア人形のマトリョーシカ的、入れ籠人形的な構成となっているという構図である。



ウイキペディアより引用

  所で長期的なインド文明の把握において、多少混乱を招くのが現代、特にインド・パキスタン分離独立以後の把握である。本稿では、政治的な領域に触れる場合はインドとパキスタンは当然分けて考えるが、現在の政治な立場を過去に敷衍する様な観点はとらない。というのも、現在の『パキスタン史』などを見ると、インダス文明はパキスタンの歴史の始まりとして力を入れて記述するが、その後の歴史は殆ど触れず、イスラム国家であるパキスタンの実質的な起源であるインド亜大陸への伝播以降から、歴史時代のパキスタン史が始まるのである。しかも、中世以降インド亜大陸の多くを支配したイスラム教の視点からインド文明を論じる傾向が極端となっている。
 一方、インド共和国側のインド文明認識は、当然インド亜大陸全体をヒンドゥー教側の視点を中心に展開する。但し、イスラムの文明をインド文明から除外するような顕著な特徴は見られない。これも多神教文明と継承し、且つ近代的な知の形態を受け継いだインドと、同じく近代文明の洗礼を受けつつ、筆者の云う唯一一神教の典型であるイスラム教を国是とするパキスタンにおけるイスラム文明の発現と思われる。
 いずれにしても、インド文明という概念は、多様な様相を呈しており、整理して理解するということにかなりの困難さを伴うが、基本的には循環的な時間論と、多元性を基礎とする多様性を保持した文明である、ということである。
 以上簡単に、インド文明、更にはその宗教理解の為の基礎的な準備を終了し、インド宗教思想の具合的な変動を通じて、日の出の勢いのインド社会理解を深める為の考察に入ってゆきたい。

インド文明の源流

 仏教もその流れを共有するインド文明の源流をいずこに求めるのか?実はこの問いはかなりイデオロギー的な部分がある。ここで、イデオロギー的というのは、以下の様な意味である。一般にインド思想や宗教の関する説明する場合、その殆どが、バラモン僧が担って来たヴェーダ聖典を中心とするバラモン教、そして現在のヒンドゥー教と連続的に解説する。特に、インド宗教に関しては、ヴェーダを常に正統として位置づけて、思想から宗教二位アルマで、アーリア人の宗教であるヴェーダの宗教を中心に理解し、また説明する。
 しかし、インド宗教、更にはインドの文明を考える時、インドの古代文明は衆知の様にインダス文明が起源であり、その隆盛時期は紀元前2500年頃から2000年前後であった。しかもこの文明は高度に発展し、思想も宗教も高いレベルにあったはずである。しかも人口的にはかなり荒っぽい中央アジアの遊牧民であるアーリア人よりも遙かに大きかったはずである。ところが、彼らは文字を持たなかったし、文明的に衰微し、遊牧民の侵略者であるアーリア人に圧倒されて、彼らに隷属する民となった。更には現在でも見られる森林の中には独自の宗教を発展させた多くの民族がいた。そして、彼らもまた同様に文字を持たず、戦いにも疎い、謂わば平和な民であったかもしれない。少なくとも数の上では絶対少数の筈の、アーリア人に完敗し、隷属者の地位に甘んじたのであるから。
 しかし、彼らは殲滅されられたわけでも、絶滅したわけでもない。彼らは依然として東寺のインドの文明を担う一因であった。ただ、アーリア人のような戦闘的な思考や文化を持っていなかったか、発達させていなかったのであろう。その結果が、ヴェーダの宗教がバラモン教となり、更にはヒンドゥー教と呼ばれる宗教形態に発展してゆく。もちろん、その発展の間に、非アーリアンの宗教や文化など多様なものを取り入れてきたわけであるが、過去も、現在もヴェーダ聖典を中心に論じることで、原住民の宗教形態を積極的に取り入れて、ヒンドゥー教へと成長したというような認識は、積極的に取ろうとしない。歴史の中でバラモン階層は、原住民のエリート層を積極的に取り入れてきたが、その事実よりもヴェーダの宗教の後継者としての地位を強調し、過去を顧みることのない構造が成立してきたからである。
 しかし、このような認識構造では、アーリア人の宗教と後の宗教運動の多様性の説明が付かない。寧ろ、征服者アーリア人の宗教と被征服者の宗教との融合の歴史こそ、インド宗教のダイナミズムを形成してきた最大の要因である、と考える方が自然であろう。そうなれば、仏教やジャヤイナ教のような全くヴェーダの宗教と思想構造も信仰形体も異なる宗教運動が生まれた理由や、民衆に受け入れ等理由、そして後に多くの遊牧民や民族、そして彼らの等の文化、文明を殆ど争うことなく受容し、自らを成長させてきたインドの宗教、更には、その文明形態をより明確に説明できる、筆者は考える。
 因みに、仏教が推し進めた平等思想や不殺生、更には精神集中という修行、つまり自助努力に大きな意味を見出すという宗教形態は、天真爛漫な遊牧民の祭式万能主義からは、生まれないはずである。それは寧ろインド固有の文明であるインダス文明以来の思想や宗教を起源としていた筈である。この点は、仏教文明の起源ともなるので、次回に詳しく検討する。


 

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