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教育の「本質」

皆さん、こんにちは。

7月の終盤になっても雨の日がまだまだ続いていて、なんともスッキリしない日が続いていますが、そんな天気とは関係なく、毎日ボールを蹴り続けている今日この頃です。

暑さがまだそこまでキツくないので、なんとかサッカーをやれています。

ですが、ちょっとでも蒸し暑さが増すと、すぐ脱水して熱中症になります。笑

そんな話はさておき、
今回のブログは、題名にもある通り、教育について自分の考えを書いていこうと思います。

大学2年生の頃まででしょうか、その頃まで私は中学の社会科の先生になりたいと思っていました。

そう思うようになったのは、とてもシンプルな理由で、中学校のサッカー部の顧問の先生に憧れていたからです。(この先生については『感謝すべき「人」』というブログの中で詳しく書いているので、そちらをご覧ください。)

この先生のように「サッカー」を通して、子供の教育に携わりたいと、高校生の頃から考えていました。

そして、大学に入り、教職課程を取って、先生になることを目指して授業に取り組んでいました。

ですが、実際に教職の授業を受けている中で、少しずつ違和感を感じ始めました。

教職の授業のメインとなる部分は、
「どのようにすれば、子どもたちにわかりやすく、そして関心を持たせるような授業作りができるのか」
「どのようにすれば、子どもたちが主体的に自ら取り組めるような授業を作ることができるのか」
などといったものでした。
(他にも多々やることはあるのですが、受けてきた授業を振り返ると、上記の部分に力を入れていた印象があります。)

そのような授業を受けている中で、私はあることに気づきました。

それは、

「先生の仕事の中でメインとなる部分は、学習指導要領に沿っていて、かつ、わかりやすく主体的に学べる授業をすることである」

ということです。

そこに気づいた私は、私の中で今まで持っていた「先生像」とズレていることにも気がつきました。

私は、中学の先生となり、サッカー部の顧問になって、「サッカー」を通して子どもたちを育てていきたいと思っていました。

そうでありたいと思っていたのに対して、実際の先生の仕事というのは、ざっくりと言ってしまえば、「授業をすること」が仕事で、他のこと、特に部活動などはおまけみたいなものです。

部活動における「サッカー」を通しての教育、を志していた私にとって、
「授業をすること」に多くのエネルギーを使わなければならないのは、とても苦痛に感じ、自分にとっても子どもたちにとってもメリットが少ないと思いました。

「授業をすること」でのエネルギーを、私が心からやってみたいと思っている部活動における「サッカー」を通しての教育に使えないのは、すごくもったいないと感じてしまいました。

そして、先生の仕事のメインとなる「授業をすること」に対して全く魅力を感じていないことにも気づいたのと同時に、
私が本当にやりたいと思っていたことを実現するのであれば、それは先生ではないと自分の中でわかったので、

私は先生になることをやめました。

先生になることはやめましたが、今までやってきたことを無駄にしたくはなかったですし、免許は取っておいても損はないだろうと思ったので、私は教職の授業を取り続けてきました。

そのような形で教職の授業を受け続けていた私は、「授業をすること」に拘る教職の授業であったり、教職の先生たちに対する違和感が徐々に強くなり始めました。

ここ最近まで、その違和感の正体が掴めないまま過ごしてきましたが、就活を通してその違和感を徐々に掴むことができました。

それは、教職の先生たち、学校教育の現場、さらに大きく言えば教育委員会と私との間で、
教育の本質の捉え方が異なっているということです。

教職の先生たちや学校教育の現場などでは、「授業をすること」の上手さ、どれくらい「授業をすること」を完璧にこなしていけるかを求めています。

私が何度も言っている「授業をすること」というのは、上記でも少し触れている部分はありますが、
「いかに子どもたちにわかりやすい授業をするのか」、「いかに子どもたちが主体的に取り組めるよう関心を持たせるような授業を作って展開することができるのか」、
それらを教育委員会から出される学習指導要領に沿って年間通して行い続けることを指しています。

要するに、とにかく子どもたちに「勉強」を意欲的に取り組ませるようにすることが先生の役割というわけです。

「勉強」に興味を持ってもらって、「勉強」に主体的に取り組ませるきっかけづくりとして、わかりやすく面白い、興味関心を引く授業を展開し続ける、
そこを教職の先生たちや学校教育の現場などでは求めているというわけです。
そこに教育の本質を求めているのだなと、私は思っています。

私は、この「授業をすること」を教育の本質として捉えるのは、少しズレていると考えています。

もちろん、先生としてわかりやすく勉強の内容を教える技術であったり、その知識の幅というのは必要になってくる場面はあると思います。
毎回毎回の授業を、子どもたちが意欲的に受けさせるような授業展開を作り続けていくことも大切だと思います。

ですが、子どもたちが先生たちに対して、本当に求めていることは、「わかりやすくて面白い授業をしてくれること」ではないと思います。

そして、子どもたちにとって必要なことは「勉強ができるようになること」だけではないはずです。

子どもたちが求めていること、それは、
「なぜ勉強しなければならないのか」という問いの答えだと考えています。

そして、子どもたちにとって本当に必要なことは、「自分の人生にとって、必要なことを考え、選択し、決断して生きていく力」だと考えています。

今の日本は、ほとんどの人が教育を受けることができる環境が整っており、当たり前のように教育・授業が行われています。
そのような環境は大変素晴らしいものではありますが、一方で、子どもたちにとって、勉強をする意味を自ら考える機会がほとんどないことも確かだと思います。

つまりは、
勉強をすることが当たり前になっていることで、子どもたち自身の中で勉強する意味を考えづらくなっているということです。

そのような環境の中では、子どもたちだけで勉強する意味であったり必要性を考えるのはとても難しいと思います。

だからこそ、「先生」という存在が必要なんだと思います。

先生が、常日頃から子どもたちに対して、
「なぜ勉強しなければならないのか」
「自分にとってなぜ勉強は必要なのか」
そして、「勉強は本当に自分にとって必要なことなのか」ということを問いかけることが必要になってくると思います。

そして、先生は、その問いかけから始まる子どもたちとの対話を通して、
子どもたち自らが、「なぜ勉強しなければならないのか」や「勉強の必要性」などを考えて、自ら答えを出せるように促していかなければなりません。

ただ、先生自身がそれらの自分なりの答えを持っていなければ、対話は成り立たないですし、子どもたちも一緒に考えようとはしないと思います。
なので、先生自身が常日頃から、子どもたち以上に勉強する意味であったり、勉強が生み出す価値というものを考え続けなければならないと考えています。

その上で、子どもたちと日々対話し続けることが必要不可欠になってくるわけです。

ここで大切にしなければならないことは、
先生が自分自身の考えを子どもたちに伝えて、「その考え方こそが絶対で正しい」と子どもたちに考え方を強制的に植え付けないことです。

あくまで、参考程度に留めることが必須で、
勉強する必要性や、勉強する意味、勉強から生み出すことができる価値といったものは、人それぞれ考え方が違うように、捉え方も異なってくるので、
自分で考え抜いて出した「答え」を大切にするべきです。

その自分で考え抜いて出した「答え」は、自分自身が1番納得するものなので、自然と自ら動き出す原動力となるはずです。

これらを、子どもたちの中に生み出す手助けをしてあげること、それが私の考える教育の本質だと考えています。

ここまで、私が考える教育の本質を書いてきましたが、実際に教育の現場でこれらを実践していくのは、正直とても厳しいと思っています。

学歴社会の中の日本の教育委員会(ひいては国のトップ)が、先生たちに「授業をすること」だけを求め、「勉強ができる優秀な人」を生み出すことを期待しています。

そのような状況で、先生たちは「授業をすること」だけに日々追われ、
自分自身で勉強する意味であったり、価値を考えることができる余裕がないと思っています。

それ以前に、先生になる過程の中で「授業をすること」以外のことを、考えることを求められてもいないので、そもそも考えていない先生もいるとは思います。
(考えていないことがダメだと言っているわけではありません。実際に、教職課程の中で求められてこなかったので、仕方がないというニュアンスで受け取ってもらえばと思います。)

そういった状況を変えて、私の考える教育を実践することができるためにはどうすれば良いのか、残念ながら今の私には答えは出ていません。

学校の現場から変えていかなければならないのか、
教育委員会に入ってそこから変えていかなければならないのか、
はたまた、社会基盤を根底から変えなければならないので政治から変えていかなければならないのか、

今の時点では、仕事を通して社会を見つめていく中でその答えは見えてくるのではないかと、思っています。

私は9月に教育実習に行くことになっています。
教育実習生で立場は弱いことは確かですが、私がこれまで書いてきた教育の本質に根ざした教育を少しでも実践できることを目指して、教育実習に取り組んでいこうと思います。

(以上のことは、あくまで私自身が考える「教育の本質」です。教育に携わるものとして、人それぞれ教育に対する考え方があると思います。
私はその人自身の教育に対する考え方を否定しているわけではありません。ましてや、現在行われている教育自体を否定するものではありません。ご理解頂けると幸いです。)

今までと比べて、少し長くなってしまいましたが、
最後まで読んで頂き本当にありがとうございます。
引き続きよろしくお願いします。

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