見出し画像

朝昼晩の三食を満足に食べられる幸せ



皆さん、こんにちは。

今回のブログは、前回のブログの最後に触れました、
現在のフリーター期間中に感じました経済的な部分について書きたいと思います。

ただ、今回のブログのテーマは、
フリーター期間以前から考えていたことで、収入が安定せず、節約にかなりのパワーをかけている今の状況だからこそ、
非常に敏感になっている、という表現が正しいです。

まず、僕は普通の人と比べると、食べる方だと思います。
その上で、「美味しいものを満足に食べる」ということが自分の中の幸福度の割合で大きな部分を占めています。

長い間サッカーをやっていたこともあり、
たくさん食べないと体力がつかないという側面もありました。

自分の幸福度と体力の都合上、
食にお金がかかるのは致し方ない部分もありますが、
その分、食を通じて、経済的な事柄を考える際のある種物差しになっていると感じています。
もちろん、自分の幸福度についても。

今はサッカーを真剣にやっているわけではないので、
ある程度、食の部分を節約することはできますが、
自炊をする上でどの部分を節約することができるのか、
野菜や肉、調味料といったもので物価が高騰しているのを体感できますし、
その状況の中でどうすれば自分の懐事情を考慮して、生活していくことができるのか、
ざっくりでも考える必要が、否が応でも出てきます。

外食する時も、今は真っ先に値段と食べ物の量を考慮します。
どのくらいの値段でどれだけ食べることができるのか、
この値段とこの量であれば、これだけ食べて後は我慢するのか、
事前に行くお店が分かっていれば、値段を調べておいて、行く直前に何かを安い値段のもので間食をしてお店での行動を制限しやすくするのか、
そのようなことも考えたりします。

本当はそんなことしたくはない、けれどもやらざるを得ない状況でもある、
収入=幸福度、だけではないとは思いますが、個人差はあれど、ある一定ラインまでは、ある意味正しいのかなと考えたりします。


食べないと生きていくこと出来ない、
当たり前のことですが、満足いかなくてもそれが出来るだけでも幸せなのかもしれません。
ましてや、朝昼晩、三食満足して食べられるなんてもっと幸せなことかもしれないと、今改めて思います。
実際に仕事をして、自分の収入だけで生活してみて、本当に思います。

そして、僕が子供の頃、当たり前のように三食お腹いっぱいになるまで食べることが出来ていたのは、紛れもなく両親のおかげだと振り返ることが出来るようにもなりました。

当時は大人になるとそんなに食べられなくなるものだと思い込んでいましたが、
恐らくそんなことなかったとのかなと思います。
父親と母親は、「歳だからそんなに食べれないのよ」とよく言っていました。
だから、たくさん食べなさい、と。

それでも一日中仕事をすれば当然お腹はある程度減ると思います。
僕以外に、僕同様よく食べる兄もいたので、
自分たちも満足に食べていたら、生活する上で支障をきたす可能性があったのかもしれません。
(僕も兄もサッカーをやっていて、サッカーやるだけでもいろいろとお金はかかるので)

自分たちのために、たくさん料理を作ってくれて、
自分たちの腹の空き具合については何も触れず、思いやりを込めてたくさん食べさせてくれていたのだと、今は勝手に思います。
本当はどうだったのか、聞いたことはありません。

僕が中学・高校の時、1日〜2日のペースで1回10合でご飯を炊くのが当たり前だったそうです。
今は分かりますが、そんなペースでお米を食べていたら、それだけでどれだけのお金がかかるか。
考えるだけでも震えてしまいそうです。笑

今まで書いてきた、食を通じて考えていたことは、
大学生の頃からもざっくりではありますが、感じてはいました。

お小遣いをそこまで多くもらうわけではなく、隙間の時間でアルバイトをして、そのお金で食事のやりくりをある程度はしていました。
大学生でまだまだ食べることが必要な時でもあり、満足に食べていたらお金が持たない状況だったので、
どうすればその中でより満足に近い状況に持っていけるのか、考えていたことを思い出します。

ただ、当時の部活のチームメイトの多くの人達からは、そのようなことを考えているようにはあまり見えませんでした。
サッカーに全力を注いでいる分、親からのサポートもあり、バイトをしなくても問題ない人もいたのかなと思います。
裕福な人が多かったのではないかと思います。

親の収入と学歴は比例する、ということをなんとなく耳にしたことはありますが、
親の収入とスポーツエリートもある程度は比例するのか、というのを目の当たりにした時期でもありました。
そういった社会構造的な側面も、食から学んできたのかもしれません。
(これは完全に自分の感覚ですが)


若干、話は逸れてしまいましたが、
これらのことも、お金が当たり前のように沢山あって、当たり前のように満足に食べることが出来ていたら、
恐らく気づかなかったことでもあると思っています。

食を通じて、そもそも生きていくことが大変で考えなければならないこと、
自分一人では決して生きていくことは出来ない、それが社会の残酷なところでもあり、美しいところでもあること、
そして、親、様々な環境の中で自分を取り巻く人たちが支えてくれていることに気づくことが出来たこと。
この状況下でも、それらのことを考えることが多かったです。

それだけでも恵まれているのかもしれないです。
まだこのように整理して考えるだけの余裕はあるということで。

7月からは心機一転、新たな環境に一歩足を踏み入れます。
まずは、朝昼晩、三食自分の中で満足して食べられることを目標に、歩み続けることも一つの指標としてはありなのかもしれません。笑

美味しい食事をお金を気にせず、たくさん食べられることは、本当に幸せなことですね。


最後まで読んでいただきありがとうございました。
また次回のブログでお会いしましょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?