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004 | 女の子がいる場所は

作品についてと、感想


さまざまな国の女の子(と、女性差別)を描いた作品。5ヶ国分あって、サウジアラビア、モロッコ、インド、日本、アフガニスタンである。

外国の章は、ページをめくるたび、ああ、まだこんな女性差別が行われているんだ、と悲しくなった。
日本の章は、母国だけあってとても身近に感じた。特に、おばあちゃんの台詞、「女の子なんだから勉強なんてできなくていいのよ」は、私も祖母に何度も言われたことがあったせいもあり、よけいに身近に感じた。

女性差別、男女の差について

これから述べるのはジェンダー学を学んだわけでもない、ただの素人の個人的な意見なので、あまり真に受けないでほしい。

女性の社会進出はかなり進んでいて、女性差別も少なくなったように思える、が、未だ日本でも女性差別は存在すると思う。

私がおばあちゃんに、女の子なんだからそんなに勉強しなくていいのに、と言われたり、女の子だからと県外の大学には行かせてくれなかったりしたように。それから、私の友達は、街コンへ行くのに自分より下の大学出身を詐称して行くと言っていた。(私の出身大学は、一応旧帝大なので、男性に言うと引かれることもある、とか。)実際私もマッチングアプリでやりとりした男性に出身大学を言ったら、ちょっと引かれた。つまりは女性は家を守るのが役割だから、外で働くための勉強なんていらないだろう、ということだろう。

なぜ女性が勉強してはいけないのだろうか?社会はどんどん変化している。昔は女は家庭、男は外で働く、が当たり前だったかもしれないが今は違う。多様性を認めよう、というのが今のムードではないのか?

ここまで、女性差別に限定して話をすすめているが、男性についても同じことが言えると思う。たとえば、弱い女性は守りたくなるとか、好印象なのに対して、弱い男性はいまだなよっちいとか、非難の対象になっていると思う。なんで弱い男性はいてはいけないのか?強い女性がいれば弱い女性もいるのと同様に、強い男性もいれば弱い男性もいるはずである。

女性も男性も働かなければならない社会はどうなのか?

私は、女は家庭、男は外で働くという昔の価値観には反対だが、女性も働く、男性も働くのみが許される社会になっては元も子もないと思っている。多様性を認める社会になるには、女は家庭、男は外で働く家庭もあっていいし、女も男も働く家庭もあっていいし、女が外で働き男は家庭という家庭もあっていいと思う。性別について、グラデーションだ、という説が最近提唱されているが、家庭のありかたもグラデーションなのではないかなと思う。

最近よく思うことだが、やっぱり大学でジェンダー学学びたかったな、、、と思う。笑

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