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011 | モモ

ミヒャエル・エンデといえばモモとはてしない物語ではないだろうか。
『モモ』については子供のときから認知はしていた…が、その隣の棚にあったモモちゃんとアカネちゃんシリーズだけ借りて読んでいて、『モモ』を読んでこなかった…!!!

結論から言うと、ものすごく面白かったし、色々と考えさせられる本だった。子どものとき読んだらまた違った感想だっただろうな〜と思った。子どもの時読めばよかった。。。(またしても)

人々と対話をすることで本当の気持ちを引き出せたり、物語を引き出せたりする不思議な少女モモのいる街で、「時間どろぼう」が人々から時間を盗み、人々はどんどん忙しなくなっていく。モモは人々から時間を取り戻すために働きかける…

あらすじはこんな感じ。

「時間どろぼう」のやり口が詐欺師のそれでやらしいなぁと思った。
そのやり口というのは、自分たちは時間貯蓄銀行のものだ、あなたの時間はのこり〇〇時間ある、あなたの無駄な時間を貯蓄すれば、あとでたくさん使える、これとこれをやめれば〇〇秒の節約になる!という感じで、
〇〇時間を〇〇秒に直して桁数をやたら多くするところがいやらしい。
そして貯蓄なんてことはなく、彼ら自身が人間が節約した時間を使っているのである(だから人間には戻らない)

このようにして時間の節約に取り憑かれた人間たちは、まさに、現代のような生活を送っているのである。
同じような形の住宅、食べる時間を節約し、回転率を上げるため椅子のないファーストフード店のような店、楽しんで仕事をするのではなく時間の無駄をなくす、などなど…

『モモ』を読んで、現代はまさに時間どろぼうに時間を持っていかれている…!と感じた。

一方で、時間の節約がすべて悪であるとは思わない。というのは、節約することで色々なことができるというのは確かだし、それにより技術は発展してきたのだろうと思われるからだ。

『モモ』を読んで一番ぐっときた言葉は、

時間とは、生きることそのものなのです。そして人のいのちは心を住みかとしているのです。
『モモ』ミヒャエル・エンデ

つまり、大切なのは自分の心をなくすほど、時間の節約に努めてしまうと、それはまさに時間どろぼうに支配されてしまうということなのではないだろうか。

時間を司るマイスター・ホラの言葉も印象深い。
時間どろぼうが人間世界の時間に毒を流し始め、その毒を受け取ったらどうなるのか、と言う話である。

ある日きゅうに、なにもする気がしなくなってしまう。なにについても関心がなくなり、なにをしてもおもしろくない。この無気力はそのうちに消えるどころか、すこしずつはげしくなってゆく。(中略)怒ることもなければ、感激することもなく、よろこぶことも悲しむこともできなくなり、笑うことも泣くこともわすれてしまう。…
『モモ』ミヒャエル・エンデ

なんだかうつ病じみている、と思った。時間どろぼうが人間世界に毒を流しはじめ…というのは時間どろぼうがますます人間を支配していく、ということだろうか。つまり、人間は時間を節約すればするほど、上記のマイスター・ホラの言葉のようになっていくのだろうか。

現代世界で、モモのように時間どろぼうに対抗しようとする人はいないのだろうか、と考えたとき、最近、丁寧な暮らしとか、スローライフとかいう言葉を聞くようになったことを思い出した。さらには、週休3日制を導入しようという企業もある。

私の理想は、時間どろぼうをゼロにすることではなく、上手く付き合っていくことだな、と『モモ』を読んで思った。
つまり、時間を節約しつつ、心の充実も図る、ということである。
モモの友達ニノのお店は、時間どろぼうのせいで長居する常連客を追い出してしまった。一方、ファストフード店として以前より繁盛している。
私は、常連客を追い出すことなく、そこそこの繁盛を目指すことはできないんだろうか、と思ってしまった。理想主義といわれればそれまでだけれど。そして、こんな考えを抱くのもすでに時間どろぼうに支配されていて、まっさらな子どもだったらもっと違う考えを持つのかもしれない。

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