【馬と人の関係】Joyful Communication-その1
人と馬との、深く大きな喜びに満ちた交流のことを、
ジョイフルコミュニケーションと言います。(@葉山ハーモニーガーデン)
そのようなことは現実にあるのでしょうか。
【馬の生殺与奪は人の掌中】
そもそも馬は「人」から自由を完全に束縛されています。
馬の命に関すること、「水」、「食べ物」、「空間」すべてが、「人」に管理されていて、ウマがヒトの役に立たなくなるとき、それはおおかたウマの命の終わりを意味します。
【ウマの唯一の救い】
そんな馬に唯一自由があるとしたら、5500万年の時をかけて築き上げた
どんな環境にあっても、ただひたすらに、
「すべてを受け入れて、今を生きる。今を生ききっている」という、
馬独特の心的姿勢。これは馬が自らを生きる内面の自由であり、人とは比較にならないほど確固たるものです。
ともすれば、自分の主体性を忘れ、いつも何かに束縛されて振り回される日常を送ることが多い人間と、
自分の命を人に握られながらも、来る日も来る日も、内面的に主体的に「今を生きて」いる馬。
【ほぼ自問:ヒトと馬が共有できる喜びはあるのだろうか。】
答え:あると思います。
おそらく、それは、3つの関係性から考えられます。
1.「馬は馬、人は人」の関係
これは、放牧などで自分の五感で観察し、客観的に感じている状態です。
馬と人がそれぞれ主体的で、分離しており、眺めているだけでも癒される。
それは馬の方も同じで、穏やかで優しい人々を眺めている馬の様子を見ていると分かります。
2.「馬も人、人も馬」の関係
馬の心を察し、自分の心と一致している状態
馬と人の、心と体が一致して伝え合っている状態
人が自分の弱さに気づき、それを受け入れることから始まる「人馬一体の喜び」、「馬と同調する喜び」がここにはあります。
馬にだって当然弱さはあります。
自分の「我」が強く出てしまって、人とのコミュニケーションがちぐはぐになる時や、自分に自信がなくて、力を出すことを躊躇し、人の顔色をうかがってしまうときなど。
そんなときは、「心呼吸と信呼吸」でお互いに我に返ります。
人の呼吸に馬が反応してくれて、お互いに心のやり取りができる喜びの状態。
3.「馬は人、人は馬」の関係
馬と人の心のやり取りに障壁がない状態
ただ共に在る、そして共に生きているという安心の状態
調馬索があろうとなかろうと、騎乗していようといまいと、
馬場だろうが、厩舎の馬房の中だろうが、
時間・空間的な制約を全く感じない「人馬」の堺がない精神的な状態
静かな状態です。
これら3つの関係は独立して、ばらばらに起こるのではなく、また、どれがいいとかというものでもないように思えます。
【馬と人の関係】Joyful Communication-その2
【馬と人の関係】Joyful Communication-その3
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