Bandwagon
※縦書きはこちらから https://drive.google.com/open?id=1LUkvxTS1aajhL3l3prJxNNFiaQFXUYG8
「なあ、覚えてるか」と、助手席に座るギターが言った。「俺ら最初、バンド組もうって言うて集まったんやで」
車内に沈黙が降りる。
「ああ」と、運転席に座るドラムが返事する。「そういえば」
「もう十年ぐらい前ちゃう」
「十年」とドラムが噛み締めるように言った。「その間に何もなかったみたいに思える」
「そやろ」
ギターは慣れた手つきで、窓の外を流れる景色を見ながらネクタイを締め直した。美しいディンプルが出来上がる。
反対側の斜線では、長い渋滞が続いていた。東京から離れていく、こちらの車線は快適だ。
「なあ」ギターは後ろの席に向かって言う。「何か持って来てへんの?音楽」
「この車、iPhone繋げる?」
ベースは眠そうに眼をこすりながら返事する。ギターと違って、スーツは皺だらけである。
ギターはどこかに出力ケーブルがないか探す。ドラムが「ダッシュボードとかに入ってんじゃない?」と助言するが、説明書しか入っていない。
「さすがに、CDは持ち歩いてないな」
「そうか」
ギターは諦めて、ダッシュボードに足を載せて呟く。対向車線は、まだ車の列が続いている。
「それならしょうがないな」
ドラムはスピードを一定に保ったまま、アクセルを踏み続ける。眼をつむっていたって運転できるくらいまっすぐな道が続いている。車は南へ向かう。
彼らがまだ若かった頃の話だ。
国道沿いのデニーズのボックス席で、ボーカルはメンバーを待っている。髪は浮浪者のように肩まで伸び、ジャージに身を包んでいる。右手の親指の爪を噛み飽きた頃、ドラムとベースが一緒に来て、わずかに遅れてギターがやって来る。
「はじめまして」と、ギターは、ドラムとベースに向かって挨拶する。
ボーカル、ドラム、ベースは同じ高校の悪友同士で、ボーカルとギターは今同じ私立大学に通っている同級生だった。
ドラムとベースの方も、少々緊張した面持ちでお辞儀する。ベースが辛うじて、机においた指だけを上げて「どうも」と言う。
ボーカルはメニュー表を手に取ると、すぐにベルを鳴らした。
「デミソース・オムライスと、ドリンク・バー」
ボーカル以外の三人は、コーヒーやドリンク・バーを注文したが、ボーカルが「俺だけ食べてるの何か食べにくい」と言って、もう一皿デミソース・オムライスを注文する。
デニーズには、安っぽいディナーの匂いが漂っている。
「これなんだけど」と言って、ボーカルが出してきたのは、派手なジャケットのCDだった。赤いバックに、殴り書きの文字が書かれている。
「ペイヴメントってバンドなんだけど」
ボーカルはなぜか少し照れ臭そうだ。
「なんか、何がいいのか上手く説明出来ないんだけど、めちゃくちゃ良いんだよね」
「名前だけは知ってる」と、ベースが言う。
机の上には、ソニーのCDウォークマンが置かれている。その上面にはボロボロになったエイフェックス・ツインのロゴ・ステッカーが貼られていた。ボーカルは自分の右耳に片方のイヤホンを突っ込むと、もう片方をドラムに向かって突き出した。
ディスクが回り出し、音楽が流れる気配がする。遠くの村で摩訶不思議な儀式が行われている、というくらいの音がかすかな音が聞こえる。初対面のベースとギターの目が合ってしまう。
「ギター、弾けるんですか」とベースが尋ねる。
「うん、一応。高校の時から。ベース弾けるん?」
「いえ、まだ触ったこともないです」
「ああ、そうなんや」
隣のボックス席に、三十歳くらいのサラリーマンが座る。疲れた顔で手帖を開き、メニューを見ないまま注文をする。
「まぐろ丼、一つ」
「こういう、ちょっと外した感じがやりたい」
ボーカルがそう言いながらイヤホンを外すと、ドラムも一緒にイヤホンを外した。奇祭の音が、わずかにデニーズに漏れる。
「ロックンロール!って叫んだりしないやつ。チューニングとか適当なやつ。自分たちのために演奏していることが、たまたま観てる人たちのためにもなるやつ」
ドラムは、ふむ、とだけ言って腕組みをする。ゆっくりと炭酸が抜けていくような長い鼻息を吐く。
「何か持ってきた?」と、ボーカルがベースに向かって訊ねた。
ベースが薄っぺらいトートバッグから出したのは、その頃リリースされたばかりのアメリカの音楽だ。
ヴァンパイヤ・ウィークエンド。ボーカルはそれをウォークマンにセットすると、自分の右耳にイヤホンを入れ、またドラムにイヤホンの片方を渡した。
「あ、これ俺もめっちゃ好きやで」と、ギターはジャケットを見ながらベースに言う。
「ほんとですか。いいですよね。ヴァンパイヤ・ウィークエンド」
ジャケットにあしらわれた写真の中で、シャンデリアの下に人々が集まっている。
「最初みんなで映画作ってたらしいで、この人ら。みんなで作った映画のタイトルをバンド名にしとるって」
「そうなんだ」
しばらく沈黙があった後、ボーカルはイヤホンを外し、「これはこれでめちゃくちゃいい」と言った。「楽しい。楽しそう。ハッピーな感じってのはアリだな。とことんハッピーなだけのやつ」
ドラムはイヤホンをつけたまま頷いた。わずかに身体を揺する、その目は爛々と光っている。
「最初みんなが映画を作ってたってエピソードもめちゃくちゃ良い」と言って、ボーカルは愉快そうに笑う。
「もう一枚持って来てる」
そう言ってベースが次に出したのは、ディア・ハンターのサード・アルバムだった。マイクロ・キャッスル。ギターはすぐにCDを入れ替えると、また再生ボタンを押した。
「なあ」とギターは言う。「何で自分らばっかりで聴くねん。そろそろ俺らにも聴かせてや」
ピピピ、と巻き戻しの音が聞こえた後、チョーキングの音が聴こえる。ギターとドラムは、同時にその音を聴いて、目を見合わせる。
目の前で何か大きな建物がスローモーションで崩れ落ちていくみたいな、たまたまとても似ているイメージを、二人は頭の中に描いている。
サラリーマンは、ゆっくりとまぐろ丼を口に運びながら、奇妙な四人組をちらちらと盗み見る。テーブルには二人前のオムライスが載っており、イヤホンを交代で付け換える合間に、時々思い出されたようにスプーンで掬われる。
サラリーマンも知っているバンドの名前が聞こえる。ビートルズ、ビーチ・ボーイズ、レイン・コーツ、ライド、ヤング・マーブル・ジャイアンツ、ソニック・ユース、そしてバービー・ボーイズ・・・。
家に帰ったら、ストーン・ローゼズでも聴こう、とサラリーマンは思う。
サラリーマンが座っていた席に、何組かの客が座り、食事をしては去っていく。グリル・チキンセット、ミートソース・スパゲティ、チョコ・パフェ、おろしハンバーグ定食、エスプレッソ・コーヒー・・・。
六組目の客が帰って行った後、目つきの鋭いウェイトレスが彼らのテーブルにやってきて、「そろそろ閉店なので」と告げる。
お金を払った後、ドラムとギターはトイレの小便器で横に並ぶ。
「あれやな」と、ギターは自分のモノを見ずに放尿しながら、ドラムに向かって言う。「何かになりそうやな」
ドラムは、満面の笑みでそれに答える。
彼らは、ドリンク・バーで満たされた膀胱を、長い時間をかけて空にした。
四人は、ドラムの運転する車に乗って、国道をまっすぐ行った隣町にあるデニーズへ向かった。そこなら二十四時間営業だから、と誰かが言ったのだ。
車の中でも、彼らはひっきりなしに話を続ける。音楽の話だけではなく、最近観た映画や、読んだ本の話だ。四人のうち三人はスター・ウォーズが大好きで、ボーカルだけは惑星キンザ・ザが熱狂的に好きだという話になる。サリンジャーのキャッチャー・イン・ザ・ライを全員が通読していて、ドラムだけはちょっとよくわからなかったと言う。
車の中では、ドラムが好きな日本のポップ・ロック・バンドの曲がうっすらとかかっていた。それは、誰にも聞こえていない。
車はアスファルトの道をどこまでも走って行く。ドラムは一度道を間違えて、目的地を行き過ぎてしまうが、取り留めないおしゃべりを続けている連中は気がつかない。
車は誰もいないパーキング・エリアで、くるりと弧を描いて、また目的地へ向かって走っていった。
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