テキストヘッダ

螺旋

※縦書きリンクはこちらから https://drive.google.com/open?id=0B7K8Qm2WWAURdlVIQ2xsUndDNDQ

 背中がむずむずするような暑い夏の日だった。洗濯機がすすぎと脱水の行程を残して動かなくなった日、私はコインランドリーで洗濯物を回していた。何もかもが面倒になり、家着のままぐるぐると回転する洗濯物を見つめていた。

 コインランドリーの中は当然のように冷房の類いがなかった。コインランドリーに来る必要がある人間は冷房の風を浴びたことがないだろうと言わん ばかりだった。扇風機が首を振っているだけだ。洗濯機が置いてある一面以外全てガラス張りの部屋の中は、殺人的な暑さだった。一つだけ幸いなことに、向か いの巨大なマンションが大きな影を落としている。ガラス張りの部屋が、平面的な影で覆われている。斜めに見上げると、そこに暮らす人々の動き、蟻の巣を横 から見たように透けてきそうな気がした。平面的、だ。

 洗濯の残り時間を示すデジタル時計には、50という文字が浮かんでいた。まだ洗濯を開始してからたった10分しか経っていないのだ。
 洗濯物の中には赤い下着が入っていて、他の地味な色の衣服の中でひときわ狂ったようにのたうちまわっていた。見つめていると催眠術にかかりそう だった。どうしてこんな頭がおかしくなりそうな色の下着を買ったのだろう。狭い洗濯機の中で、ねずみ花火のように暴れ回る赤い下着。

 ぼうっとそんなことを考えていると、中年の男が一人入って来た。
 彼はかなり大きな手提げ袋を二つ下げていて、それをゆっくりと地面に降ろした後、私の衣類がぐるぐると回る洗濯機の隣の洗濯機の中を、備え付け のぞうきんでかなり入念に拭いた。(コインランドリーには、そういう準備がしてあるのだ。)何度もぞうきんを畳み直す、神経質な拭き方だった。
 そのあと彼は、手提げ袋の中からたくさんの衣類を抱えて洗濯機の中に丁寧な手つきで並べていった。それらはきちんとたたまれており、色とりどりで、綺麗だった。
 制服。メイド服。チャイナ服。ナース服。スクール水着。ブルマ。おそらく何かのアニメのキャラクターが着ているのであろうコスチューム。アイドルが着るような短いスカート。そして、派手な下着たち。
 色とりどりの衣類が洗濯機内に並べられると、男はゆっくりと小銭を投入し、半透明の扉を閉めた。こんなに暑いのに、彼は汗ひとつかかずに作業を進める。そして、ゆっくりとオレンジ色のボタンを押した後、ぺらぺらの手提げ袋だけを持って、透明の扉から出て行った。

 私は、なおもぐるぐると同じところを回り続ける自分の衣類の横で、色とりどりの衣類がゆっくりとかき回されるのを見ていた。静かなモーター音と わずかな揺れ。窓を介して色がぐちゃぐちゃに混ざっていくのを見つめていると、洗濯機の中に奥行きが生まれた気がした。長い廊下。砂漠。その先に、宇宙。 洗濯機の窓は、宇宙船の窓のようだ。赤が青が紫が白が、うねりに飲まれ、うねりを生んだ。私は窓に張り付いて、外を見つめた。
 ぐるぐると回る宇宙は、螺旋状にどこまでも伸びて行く。ごうんごうんという洗濯機の機械的な音を聴いていると、自分が宇宙の内側にいるような気 がした。窓が溶け落ちて宇宙に放り出されると、するするとだらしなくのびきった家着が脱げていって、赤い下着一丁になった自分が発光した。色とりどりの下 着たちが私の周りを回る。
 せっかく宇宙まで来たというのに、私はその広さにぞっとした。どこまで行っても、どこにも行けない。動いているのか、留まっているのか。どこか に浮かぶロシアの犬のことを思った。彼女に会ってみたい。螺旋と輪がどこかで絡まっていたら、私は彼女に会いに行けるのだろうか。

 どれくらい経ったのだろう。まぬけなビープ音がして、私の洗濯が終わった。暑過ぎて動けなかった。
 男を待っていた。誰か、私をここから出してほしい。長い旅を終えた後くらい、私は誰かに歩み寄ってほしいのだ、と思った。きっと、あの犬もそう 思って待っているのだろう。悟りを開いた痩せた犬。その犬が、切なげな目で待ち構えている。はっはっと短い息づかいが聞こえた気がした。もう一つの洗濯機 も止まると、宇宙が死んで絡まっていた。

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