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学校教育に決定的に欠けているものの一つ ⑩  教師が楽しんで仕事をすること

これが最も問題として深刻と言えるかもしれない。

「楽しむ」どころか、非常な心痛を抱きながら職務にあたる教師がかなり多いと言わざるを得ない。
結果、「心の病」により教師が長年に渡り休職することが、社会問題になりつつある。

そこまでいかなくとも、常に強度のストレスを感じている教師が児童・生徒の前に立つことは、非常に好ましくない状況である。

毎日、消化すべき内容が細かく計画されており、そのペースは児童一人一人の理解度など無視せざるを得ないほどの速さで流れている。
加えて、本来の業務とはおよそ無関係と思えるような雑務が課せられ、それは「さばける」教師のところへどんどん集まってくる。

結果、きめ細かい指導の余裕などは無く、そのしわ寄せは宿題と言う形で「丸投げ」される。

そのような児童・生徒と教師の間に深い信頼を築けと言われても無理だろう。

どんなに有益な学習内容も「強制的」となれば血肉にはならず、ただただストレスの素にしかならないのは、児童・生徒側も教師側も同じだ。

そのストレスが誰か弱い存在へと向かってしまえば、それは「いじめ」となる。


私が半野生馬を調教しようとした時、頼りにした著書「馬と踊ろう」の著者クラウス・フェルディナンド・ヘンプフリンクは、その書の中で、調教者の大切なエッセンスとして、『 楽しんでやること。決して馬を~~してやろうとか高圧的な態度を示してはいけない。それはすぐに馬に伝わってしまい、馬は調教者としてのあなたを拒絶するだろう 』みたいな内容の記述をしていました。

人間相手の教育でも、それはまったく同じことが言えますね。


教師が生き生きと楽しみながら、創造的なプランを持って教室に現われた時にこそ、児童・生徒もまた伸び伸びと学習への興味という「翼」を広げることができるのでしょう。

まず教育プランは、教師がいきいきとチャレンジし、間違ってもいいから「トライ・アンド・エラー」を楽しみつつ行えることを前提とするべきです。


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