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親、特に母親が好きすぎて、不登校をするケースもある

かつて教師をしていた時代の、生徒のSNSを時々見ることがある。結婚してお母さんとなり、立派にやっている。

世の中の物事に対する価値観もしっかりしており、好感が持てる。

昨日のSNSを見ると、小学一年生くらいの娘さんが「学校へ行きたくない」と言い、一日母親と彼女が開催するヨガ教室へ参加したとのこと。
学校に対する連絡は、「学校へ行きたくない」というもので、学校側では「不登校の始まり?」と大いに警戒するところなのだが、母親の方はいたってケロッとしている。


このケースは、あきらかに「母親が好きすぎて、離れたくないがために、学校へ行きたくない」というものだろう。
よくわかる。

学校へ行っても、幼い仲間ばかりだし、先生はひとりひとりになんて、構ってはくれない。理解もしていない。
どう考えても、母親といる方が、居心地が格段にいいのだ。


しかし、考えなくてはならないのは、「いずれ娘さんは、居心地の悪く、問題だらけの社会に揉まれながらも立ち向かっていかねばならない」ということ。

ずっと居心地のいい場所にいるわけにはいかない。
ここで、姿勢を間違うと、うまく外へ出ていく力が発揮されないままとなってしまう恐れがある。

それは、「子どもが学校へ行かないことを肯定すること」だ。
これは見方を変えれば「まだ、子どもだから、行きたくなければいかなくてもよい」という「子ども扱い」となってしまう。

微妙な言い方だが、こういう時の親の言動や態度は、ひとつひとつが大変に大きな意味を持つ。

「学校へ行かないことを責めないけれど、だからと言って肯定しているわけではない」という芯がしっかりしていないと、子どもの中に「外へ出ようとする力」が芽生えない。

大切なのは、「子ども扱いしない」「特別扱いしない」「一人の人として尊重した上で関わる」ということで、子どもの問題と言うよりは、親の人としての問題であるということをはっきりと認識することなのである。


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