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ヨーロッパ人は、「お金にならないけど残さなくてはならないもの」を判っている。そして、そういうものを目指している人を馬鹿にしない

これは、NHK-BSの番組を観ている時に、ヨーロッパ在住の日本の方が言っていた言葉。

納得しました。

「お金にならない」 
    ↓
すぐに金銭的な利益にはつながってはいないけども、人の心の拠り所など、人にとって大きな意味があるもの。

これを我が故郷、長崎市で考えてみた。

人は必ず老いる。そして、故郷は特別な場所になる。
よってその「心の拠りどころ」である場所へ帰る。

その時には、思い出の中の風景の中に、かつての記憶を辿りたいだろう。

しかし、長崎に限らず、久しく帰郷しなかった人が訪れても、昔の長崎とは似ても似つかないような街になってしまっている。

特に長崎港から長崎駅周辺は酷い。

原爆禍から立ち上がって生活をしていた大黒恵美須市場など、見栄えのしない場所を潰し、無理やり反対を押し切って県庁や県警本部を持ってきただけでなく、総合展示場や賭博施設、外国資本のホテルなどを持ってきた。

かつての長崎の風情は微塵も無くなってしまった。


民俗学者の故 宮本常一さんは、その著書「私の日本地図⑮ 壱岐・対馬紀行」の中で、「土地の文化と施設の在り方」について、以下のように述べています。

(p223から224にかけて)

・・・・いずれにしても島は大きく変わり始めている。
 それにしても、これから先、この島人は何をしてゆけばよいのか。この島を訪れる観光客は次第に多くなりつつある。その多くはこの島の自然美をもとめてやって来る。岳の辻、八幡崎、そのほか郷ノ浦、勝本付近の海岸美をもとめて来る。この島には人の心をひくような文化的な遺跡は比較的少ない。史蹟といわれるものも文永・弘安の役の古戦場であるとか、国分寺西北の古墳群、安国寺などが旅人の心をひくものであろうか。
そういうことを反省するにつけて、現在の人々は何を残してゆけばよいのであろうか。いま次々に建てられつつあるコンクリートの建物は、はたして人の心をひく文化財たりうるだろうか。もうぼつぼつ島の文化を知る手がかりになるような博物館、それも歴史や民俗ばかりでなく、陸や海の自然や動植物などの生態を知り得るような公園なども作られてよいのではなかろうか。それもケチなものでなく、壱岐の人達の夢やエネルギーのあふれ出たようなものであってほしいと思う。
 その気になれば、そういうものは年数をかけさえすれば実現もむずかしくない。日本ではそういうものを多くは観光客のために作られる。そういう施設を訪れるものはたいてい観光客である。しかし家族で訪れることのできるようなものを作りたい。外国では博物館や植物園、動物園は親子や家族が多くそこを訪れている。そして親と子をつなぐ大切な絆の役割をはたしている。日本のそうした施設は親子をつなぐに足るほどの充実した内容をもったものが少ない。むしろ無いところが多い。
 近頃歩いていてもしきりに思うのは、今の人達は後世の人達に対して誇り得るものとして何を残せばよいのだろうかということである。今日の観光というのは、先祖の残した文化、あるいは自然美などの居食のようなもので、現代の人々の作り出したものはきわめて少ない。これでよいのだろうかと思う。・・・・・


「 人々の夢やエネルギーのあふれ出たようなもの 」

「 家族で訪れることのできるようなものを作りたい。外国では博物館や植物園、動物園は親子や家族が多くそこを訪れている。そして親と子をつなぐ大切な絆の役割をはたしている 」

どうだろうか?

長崎駅から、長崎港、県庁周辺にそんな場所があるだろうか?

県庁周辺はとても整然と整備された。広々としている。新築直後は多くの市民が訪れた。
しかし、レストランなども、「大したことない」として不評だった。今は職員の社員食堂となっている。

エントランスも、周囲の広場もまったく「人け」が無い。
なのに、さらにギャンブル施設や巨大な展示場、スタジアムを造ろうとしている。
一方で、例えば原爆資料館の展示物は、昔の国際文化会館時代から比べるとかなり少なくなってしまった印象がある。敷居が高く、家族や学生たちが、たびたび訪れるような場所とは程遠い。
「被爆哀歌」の著作者、愛敬 恭子さんは、被爆により大変な思いをされた一人だが、一度しか原爆資料館を訪れたことがないと言い、その感想は「こんなものじゃない!」というものだったそうだ。

死して尚、宮本さんの心配は解消されそうにない・・・。





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