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少しラクに生きるためのヒント

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#相手

相手を想うことは、相手に命を与えることである

相手を想うことは、相手に命を与えることである。 それは今も生きて遠くにいる相手であっても、たとえ亡くなってしまった相手であっても同じことである。 そしてそれは全ての生命にとってもそうであり、物や場所にとっても同じである。 もし相手が、会いに行こうと思って会えるなら会いに行けばいいし、手紙やメッセージを贈ればいい。 訪れたり、触れたりすることができれば、そうすればいい。 そして、その事を記しておけばいい。

注意は、「内容」より「言い方」が10割である。これを理解していないと、逆に「非難されるべき態度」を犯し続けてしまう

世の中には、いろんな方がおられて、「他人に注意をしたいと思うと、すぐさま、口に出す」という方もおられるようです。 しかし、大抵の場合、「無視をされるか、反感を買って、喧嘩の種をつくるだけ」という結果となっているのではないでしょうか。 特に今の交通社会では、下手に注意などしようものなら、逆恨みされ、執拗に追い回された挙句、死亡事故につながるといった事件も、珍しくありませんから、ことは重大です。 しかし、私は、注意は、「内容」より「言い方」が10割であり、これを理解していない

言葉遣いがまずい人は、けっして仕事が うまくいかない ~ パリの美術館と琵琶湖有料道路で

かつて日本語学校の校長をしていた時、外国から来たばかりの青年たちに言ったことがある。 『 日本にきたら、「ありがとう」と「こんにちは」を沢山使ってください。その言葉が、将来きっとあなたを助けてくれるはずです。』 彼らが、卒業後もずっとこの2つの言葉を使い続けていたら、きっとどこへいっても、どんな職場でも温かく迎えられただろう。 どんな外国にいったとしても「笑顔」「ありがとう(現地語で)」「こんにちは(現地語で)」は世界共通なのだ。 一方、仕事をする上で「世界共通の大事な

プライドは誰にとってもアイデンティティーと同じくらい大事なもの ~ でも、問題はその「持ち方」

どんな幼い子どもにだって、ちゃんと「プライド」はある。 だから、ものごころついた時に、「子ども扱い」して、高圧的な態度を取ってきたり、馬鹿にしたような態度をとる相手は、はっきりと嫌悪感、拒否感を持つ。 だから、どんな子どもに対しても、ちゃんと「子ども扱い」せず、人格とも関りの深いプライドを、尊重しないといけないのである。 誰にとっても、プライドは誰にとってもアイデンティティーと同じくらい大事なものであることは当然のこと。 しかし、問題はその「持ち方」。 前述のような態

「馬鹿にしやがって!」「なめやがって!」と頭にくることは、よくある。でもそれは相手の問題なのだ。

生きていれば、「馬鹿にしやがって!」「なめやがって!」と頭にくることに、実によく出くわすことになる。 結果、自分の方も、そういうことをやり返したりする。 或いは、もっと立場の弱い者にその怒りを向ける。 しかし、そもそも、それは自分の問題ではなく、相手の問題なのだ。 相手が「どんな相手もちゃんとリスペクトを持って接し、~~扱いなどの差別をしない」という人にとって大切な価値観を身に付けることができていないというだけのこと。 それを相手から受けて、自分がとっても頭にきたり、傷

「赦す」「譲る」「認める」「謝る」 を常備すること  ② それができないと、いかに自分にとってマイナスか

「~~は、その時、こんなことを言ったのよ(或いはしたのよ)」という類の、いかに自分が嫌な思いを他人にさせられたか?という昔話を40年も50年も言い続ける人がいる。 気持ちはよくわかる。自分だってそうだ。 でも、聞く人にとってはなんのプラスも無い。 で、話す本人にとっても。 笑い話のネタならともかく、どこの誰かも知らない人、或いはよく知らない人の〈悪いこと〉を聞いたところで、よい気分にはならない。 もしかすると相手には「何の悪気は無く、たまたま状況やタイミングがそうさせ