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少しラクに生きるためのヒント

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#経営

クライアントや客は、あなたを「有能でスマートな店員、或いはビジネスマンかどうか?」と見ているのではない。ただ「自分の存在をリスペクトしてくれる人かどうか?」と見ているのだ

想像してみてほしい。 あなたは数年来の「夢」であった、ヨーロッパ旅行へ家族で行く。 前からチェックしていたパリのおしゃれなカフェに入った。 ところが、家族で店の入り口付近に立っているものの、店員はだれも視線すら合わせてこないし、ずっとほったらかしにされている。 それでは、と窓際の気持ちの空いているテーブルに座り、メニューを見ていると、いきなり店員がしかめっ面でやってきて何やらフランス語で「むこうの席に行け!」と言ってるのが、身振り手振りでわかる。 そこは壁に囲まれた薄暗い場

経営を考える ~ 商売は「ことば」に始まり、「ことば」に終わる

そうであるのに、実際は経営において、「ことば」というものが、実に軽視されている。 例えば、地上波やネット上のコマーシャル。 これが、「心に刺さった!」という人などいるだろうか? 営業メールや葉書、チラシなども然り。 なんらかの情報にはなるかもしれないが、「心に刺さる」ことなど、まずあり得ない。 何故かというと、それらは全て「不特定多数」に向けられたものだから。 当たり前と言えば、当たり前の話。 全てに向けられた「ことば」など、「調子のいいことばかり言って!」という不快感を

「遊びスペースのある職場」

「遊びスペースのある職場」で、試しに検索してみると、期待に反して、出てくるのは「キッズスペース」だけであった。 私が検索したかったのは、託児所としての「遊ぶスペース」ではなくて、社員や従業員、なんなら取締役も含めた大人の「遊ぶスペース」である。 なぜなら「遊び」は、人の生活には絶対に欠かせないものだからである。 殆どの職場では、昼休みや休憩時間は、「寝ている」か「携帯をいじっている」である。ほぼ例外はない。 しかし、これでは多少の気晴らしや休憩にはなっても、「リラックス」や

「チップ制経済学」を本気で考える

「経済学」が大袈裟なら、「チップ制経営学」でもいいかもしれない。 けっこう本気で、「チップ制」が経営上重要なファクターだと考える。 日本の購買文化に「チップ制」は無いが、「心付け」などは、同じ要素と言えるかもしれない。 私のような個人でのソリューション業?においても、作業後に「それじゃ少ない!」と規定料金以上に支払いをしてくれるお客さんが、数パーセントではあるが存在する。 クラフト品の販売においても然りで、「対州馬のために役立ててください」と余計に購買してくれる人もおられる

定価で売った方がよいのか、チップ制がよいのか

先日、イオン系の商業施設に家族と買い物に行った折、待ち合わせに30分ほどあったので、初めて地階にあるコーヒー・スタンドに入った。店は半分が豆を売るスペースで、もう半分がカウンターなどでコーヒーが飲めるようになっている。 またスタバやドトールなどのように435円とか、10円、1円単位で無く「アメリカン400円」「本日のおすすめ500円」と、100円単位のメニューが目に入ったのが、まず気に入って、入ってみようと思う決め手となった。 カウンターと言っても、スナックのスツールのよう

chatGPTなどのAIは、使い方に要注意 -「みんなに向けられたものは、下手すると誰にも刺さらない」

商売や経営を考える者なら、だれでも「効率化」「消エネ化」「低コスト化」に取り組むだろう。 「chatGPT」などは、まさにその為に開発されたものと言ってもよいだろう。 しかし、一方マーケティング上、重要なことのひとつに、「どれだけ自分という個の存在に関心を持ってくれるだろうか?」ということがある。 すなわち、「買ってくれる、ただの客」としか見ていないならば、そのサービスや商品のファンになる可能性は、クオリティに比べて、熱烈なファンになる可能性は低いだろうし、逆に「どのような

働いている限り必ずミスはある。しかし、それは重要な意味があり、またチャンスとなる。

企業の世界番付の上位と言えば、AmazonだとかMicrosoft、Google(Alphabet)などが、すぐ浮かぶだろう。 そのAmazonやGoogleでさえ、かなりの頻度でミスを出している。 インターネットにバグはつきものなのだ。 毎日のようにバグをとっている。 なぜならネットのビジネスにパーフェクトはあり得ないからだ。 そんなことをしていたら商売にならない。 ローンチ或いはリリースしてみて、バグをとって様子をみて修正する。 このトライ&エラーは、ヒトの働き方、人生に

そもそも「経営」とは、トライ&エラーであるはずなのに

そもそも「経営」とは、トライ&エラーであるはずなのに、長い年月「暗記学習」という、何の試行錯誤も必要としない学校教育を受けさせられているから、何か店をやるとか商売に手を出す時に、「お手本に従う」「マニュアルに沿って黙々とやる」に終始してしまう。 しかし、そんな商売敵は、ゴマンといるわけだから、順調にいくわけがない。 「ナレッジ」「マインド」「スキル」は確かに重要なビジネスの3要素だが、「トライ&エラー」が無ければ、どれも似たようなことをやっているだけにすぎない。

多少つまらない映画でも、テレビで放送されると「まぁ見るか」となるということ

私も息子も「男はつらいよ」シリーズが大好きで、全49作のDVDを持っています。 しかし、たまに引っ張り出して鑑賞するかというと、ほぼ それはありません。 一方、たまにBSテレビ東京で週に一度「男はつらいよ」シリーズを放送する時があるのですが、そんな時は必ずハードディスクに録って観ます。 商売、営業を考える上で、この点が非常に大事かと思います。 「そこにあるということは知ってはいるけれど、たまに目にしなければ、人はそれを利用しよう、購入しようとは思わない」ということです。

売れるかどうか心配する前に、まずいろんな「売り方」に挑戦してみよ

売れるか、どうか。バズるか、どうか。お客さんがくるかどうか。 そんなことを一年中、朝から晩まで思案していてもしょうがない。 「商売は、売り方が9割」と、どこかの誰かが言ったそうな。 だったら「売り方」を思案して、まずやってみな!

誰もが、新商品開発、品質改良、販路拡大、販売システムの構築等に躍起となっているが、何故もっと「宣伝方法」に心血を注がないのか?

TVの電源を入れると、深夜から早朝までショップ・チャンネルのような番組が流されています。 ブラウザを開くと、広告が矢継ぎ早に表示されてきます。 民法ラジオもそうです。 郵便もそう。 新聞もそう。 投函チラシもそう。 その中でアピールしていることは、ほぼ全てが、「商品」や「サービス」の宣伝です。 この世界的な不況の中、物やサービスを売り込むことは、本当に大変で、上記のように、起きて寝るまでの間に出会う情報に、かくも山のような商材宣伝が入ってきている状況は、十分に理解できます。

「お花屋さんなんて、儲からないから、なれっこない」に答える ~ ソリューションのあるバック・エンド商品

「お花屋さんなんて、儲からないから、なれっこない」は、確か私の娘が5歳くらいの時に言った言葉である。 幼い子どもの発言とは言え、けっこう根深い問題である。 多くの親や先生が、こういう発言に出会ったことも少なくないと思うが、この言葉に対して何と返してあげればいいだろうか? いろんな考え方とそれにまつわる、いろんな答え方があるだろう。 しかし、私はまず、「お花屋さんなんて、儲からないから、なれっこない」という問題については、圧倒的に「ソリューションのあるバック・エンド商品と

仕事でも何でも、「褒め言葉」ほど恐ろしいものはない。実は「お叱り」やクレームほど有難いものはないのだ。

「褒め言葉」をそのまま額面通り受け取らなかったとしても、少なくても「まぁこれで大丈夫なのか」という勘違いを起こさせてしまう。 そんな合格点なんて、滅多にあるはずはないのだ。 逆に「お叱り」やクレームは、明確に、時に細かく「良くない点」を指摘してくれる。 「良くない点」こそが、まさに「伸びるヒント」というビジネス上有難いものなのだ。 そういうのが判ってくるまでには、やはりある程度の年季がいる。 そして、ほとんどの飲食店やなんかが、クレームなんかは読みたくないのか、「ご意見