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少しラクに生きるためのヒント

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#不登校

普天間かおり 「ハレルヤ」 ~ いつかラジオで聞いた、酷い いじめに苦しむ孫の為に祖母がリクエストした曲

以前、NHK第一放送のラジオを聴いていて、タイトルのようなエピソードを聞いた。 今朝、ランダムに流しているMP-3プレイヤーで。1曲目に流れてきたのが、原曲の英語の方だったが、この「ハレルヤ」だった。 原曲の英語歌詞は、宗教的なものであるが、そんなことはどうでもいい。 私にとって普天間かおりさんの「ハレルヤ」は、今この時も無視や嫌がらせなどの「いじめ」に苦しむ多くの児童・生徒・若者たちに向けて祈る歌なのだ。 「いじめ」はそれを受ける方の問題ではない。 「いじめを行う側」の問

「内向的」なのではない、より「純粋」なのだ。

もしあなたが、自分の子どもに対して、「学校や職場などで集団に馴染めない」「馴染みにくい」「内向的」「内気」さらには「引きこもり」「心の病気」だとして悩んで(或いはとらえて)いるのであれば、表題のように認識を換える必要がある。実際そうなのだから。 また誰かから、その子どもについて同様の相談をされたら、まずそのことを伝えて欲しい。そのことだけでもいかもしれない。 その反対のタイプが「純粋でない」とは言わない。 前述のタイプの人は、「より純粋」なのだ。 この間、或るお客さんか

心身の全ての不調・病気に抗う為に、今すぐにできること

できるだけ文章を少なく、「これだけは!」という最小限のことを図にしてみた。

「いい学校」の条件とは

①自分ひとりで学ぶ環境と時間帯が保証されている ②座学と並行して、同等かそれ以上の自分の興味関心をベースにしたソリューション力を発揮できる学習体系が保証されている ③「仲間との遊び」が構築できる交流の場と雰囲気及びプログラムを持っている *** まず基本として、「児童扱い」「生徒扱い」といった差別的な扱いをされず、「生命ある存在」として尊重されることがあってのことだが、現在も尚、その基本が確立されているとは言い難い。 何より学校はポジティブな意味で「自由」でなければ

学校とは、「強制的に通わなくてはならない場所」ではなく、自主的に学ぶ機会を保障されて安心して通える場所」であるべき

先日、長崎市立図書館へ足を運んだ。 休日であるが、テーブルには実に多くの若者が学習をしている。 多くの児童や若者が、自主的に学習できる「場所」を求めているのが、痛いほどわかった。 そう、学習とは本来、一方通行的な座学ばかりではなく、むしろ自主的に、自己のプランに基づいて行うものが主となるべきである。 しかし、皮肉なことに「学校」と呼ばれる場所は、まったくもってこのような環境は用意されていない。 むしろ、強制的に全て同じプログラムで強制的に管理されている部分が大半を占めてい

最も重要なことは、「学校というのは、居場所なのだ」ということ

学力とか、規則とか、教師がどうだとか・・・。 そんなことよりも、最も重要なことは、児童・生徒にとって、「学校というのは、居場所なのだ」ということである。 この点は、保育園・幼稚園から、義務教育学校はもちろんのこと、専門学校などについてもすべからく同じである。 付け加えて言うならば、職場もまた居場所であることに変わりない。 この点を本当に理解しているならば、大抵の「登園をいやがる」「不登校」「早期退職」は防げる。 「居場所」とは正確に言うと、教師が何かを児童・生徒に課し

子どもが「学校(保育園・幼稚園)へ行きたくない」と言った時に

子どもが「学校(保育園・幼稚園)へ行きたくない」と言った時に、どうすればいいのか。 ①「子どもあつかい」をしないこと ②人格のある人間として尊重すること ③子どもに興味を持ち続けること ④①~③について、自分に原因を探してみること 誤解の無いように注釈をつけます。 ①に関して、「行かなければならないんだよ!」と問答無用で、登校・登園を促すことも、「行きたくないなら、いいんだよ」とすぐに肯定してやることも、「学校が悪いよ。他の子が悪いよ」とすぐに結論づけることも、全

「いじめ問題」は、「いじめをする方の問題」であり、「される方の問題」ではない。「不登校問題」は、「学校の問題」であり、「不登校をする生徒の問題」ではない

しかし、大抵の場合、問題を持っていない方の問題とされてしまうので、解決することは並大抵ではない。 解決するには、問題とされてしまう側の児童、生徒を「問題児(生徒)扱い」せず、一個の人格を持つ人間として接するだけでよい。 それなのに、多くの保護者や教師がそれを台無しにしてしまう。 つまり学校の教師は問題の当事者としての自覚が全くないので、解決の糸口を見つけられるはずがない。 保護者は、心配という「子ども扱い」により、知らない内に「いじめ」や「不登校」を悪化させる側に加担さ

親、特に母親が好きすぎて、不登校をするケースもある

かつて教師をしていた時代の、生徒のSNSを時々見ることがある。結婚してお母さんとなり、立派にやっている。 世の中の物事に対する価値観もしっかりしており、好感が持てる。 昨日のSNSを見ると、小学一年生くらいの娘さんが「学校へ行きたくない」と言い、一日母親と彼女が開催するヨガ教室へ参加したとのこと。 学校に対する連絡は、「学校へ行きたくない」というもので、学校側では「不登校の始まり?」と大いに警戒するところなのだが、母親の方はいたってケロッとしている。 このケースは、あき

過去のトラウマに打ち克つために、身体のサインで脳にポジティブなシグナルを送ろう ①

なぜ、過去の暗い思い出ばかりが頭に浮かんでくるのでしょうか? 実際は、同じくらいか、それ以上に明るい思い出もあるはずなのに。 いろんな状況がありますが、暗い思い出は、「今後、二度と同じ思いをしたくない」という深い感情を伴って、脳の深い部分に記憶されます。 家族やペットの死、受験や就職の失敗、親友の裏切り、いじめ、いやがらせ、失恋、離婚など、いずれもそうですよね。 明るい思い出は、それに比べるとそこまで強くない場合が多いです。 それは「ラッキー」であり「ハッピーサプライズ」

いじめと不登校、ひきこもりを克服するには

◎特別扱いしないこと。その他、「子ども扱い」など「 ~扱い」しないこと。 ◎リスペクトすべき存在として接すること。 この2つです。 「なんだそれ」と思われるかもしれません。 しかし、この2つが身近な家族、保護者ができていないことが大半です。 私の旧友は、子どもをやっと授かって、その子が小学校に上がる時に、「何かあったら心配だ」「後で後悔するよりはいい」と言って、毎朝登校する息子の後をつけました。そんなことをすると、逆効果で後に不登校にでもなって、我が子を苦しめること

そもそも日本以外の国では、不登校という概念がそんなに無いし、深刻な問題ではない

そもそも、このnoteだって、「こう書かなきゃならん」とか、「こんな風に書いたらマズい」なんてことはありません。 倫理的、道徳的な問題がなけりれば、好きなすればいいでしょう。 でも、日本人はすぐ、「他から、どう見られているか」を気にしますね。また、とやかく言うところがありますね。 前置きはさておき。 「牢獄?」のような田舎の高校暮らしから、北関東の教員養成大学にやっとこさ進学して、再び落ちこぼれ、自主ゼミナールで出会ったのが、オルタナティブ(別の道、やり方)教育学、あるいは

「子どもの不登校」を克服する為のヒント ~ 林 礼子著「母さん、早く学校に行きたいよう!」

「子どもの不登校」・・・・ 親(保護者)にとって、この言葉は大変に重く、苦しい響きを持つものでしょう。 今朝、仕事先の近くで、路上に立ちすくむ小学1年生(黄色い通学帽とランドセルカバーでそれとわかります)の男の子と父親らしき人物を見かけました。何となく気になり、少し離れた場所に車を停め、しばらく様子をうかがっていたのですが、どうやら登校を嫌がる子どもと何とか行かせようとする父親であることがすぐにわかりました。 父親は険しい表情で何かを子どもにまくしたてたり、或いは手を引っ

不登校を克服するために ー 子どもを愛する親ほど、気づかずに踏み外してしまう「親の法律」というもの

「親の法律」と聞くと、「なんだ、それは!」と思われるかもしれません。もっともなことです。今回、林 礼子さんの「母さん、早く学校に行きたいよう!」(講談社出版サービスセンター)の中の第8章「素直な子どもにする(母親の法律)」をクローズアップして紹介します。 「母さん、早く学校に行きたいよう!」は、小学生の不登校を克服するために書かれたものなのですが、この8章が伝える内容は、「全ての子育てをする親(保護者)に、ぜひとも一読してほしい」ものだと確信しています。 最も読んで頂きた