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「内向的」なのではない、より「純粋」なのだ。

もしあなたが、自分の子どもに対して、「学校や職場などで集団に馴染めない」「馴染みにくい」「内向的」「内気」さらには「引きこもり」「心の病気」だとして悩んで(或いはとらえて)いるのであれば、表題のように認識を換える必要がある。実際そうなのだから。

また誰かから、その子どもについて同様の相談をされたら、まずそのことを伝えて欲しい。そのことだけでもいかもしれない。

その反対のタイプが「純粋でない」とは言わない。
前述のタイプの人は、「より純粋」なのだ。

この間、或るお客さんから、そのようなご相談を受けた。
内容は省くが、その子にしてみたら、父親が難病を抱え職を失い、幼い頃からその介護を手伝わざるをえず、やがては父親の激しい妄想や言動、ついには暴れる場面に何度も見舞われるなどの厳しい状況におかれている。
父親が亡くなった後、うまく社会に適応できていない。

しかし、問題は母親がその子に対して「内向的」「重度の心の病気」と捉え、私に伝えてきたことだ。
私は色々な要因のを指摘した上で、「一番の原因は、母親であるあなたが、子どもに対してそのような認識を持って扱っていることだ。息子さんは、内向的なのではない、純粋なのだ。あなたが息子さんに対して(子ども扱い)(病気扱い)などの~扱いという差別をやめ、一人の存在として尊重する態度や言動を心がけていけば、かならず息子さんは回復して元気になる」と伝えた。

世の中には、なぜそのようなタイプの人を揶揄するような言葉が多く存在するのだろう。

「根暗」「陰キャ」「コミュ障」「ぼっち」「びびり」「へたれ」「気が弱い、小さい」「小心者」・・・・
純粋な人は、そうでない人が多く存在する社会とのギャップに苦しんだり傷つきやすい。結果、「手間がかかる」「将来お金を稼げない」となるからだろう。

最近、子どもの数が恐ろしく減っているというのに、学校などでの不登校者数は増加しているという。
それは、様々な要因はあるだろうが、それだけ純粋な人が生きにくい社会が蔓延しつつあると言えるだろう。
実際、若者による安易な詐欺事件や凶悪事件などが増加しているように思う。

私の息子は、夏頃ある音楽ライブの「チケット詐欺」に遭った。
重い病を患う祖母がお小遣いに、とくれたお金で購入したものだった。
私は「世間知らずで甘い、何やってんだ!」とは思わない。
「詐欺をやった方でなくてよかった!」と伝えた。



欧米では「ネコ好きの女性は、社会に馴染めない」という何とも差別的な偏見があるという。
純粋な人は動物を好む。動物に会うと笑顔になる。なぜなら差別や偏見などの邪心を持った動物は、この地球上にはまったく存在しないからだ。


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