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少しラクに生きるためのヒント

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2023年10月の記事一覧

「魅力的な人」になる為に、身に付けたい2つの能力

①ソリューション能力 何か問題が生じた時に解決する能力。または解決する為にトライ&エラーする能力と言ってもいいだろう。 この能力が無い人が圧倒的に多いと思われる。 私の母方の叔父は、それは愉快で明るい男だった。なかなか男前であり、親戚が集まるような場では中心にいて盛り上げるような存在だった。 私がまだ子どもだった頃は、この叔父は憧れの存在だった。 しかし、成人した後、この叔父のことはまったくあてにならない存在となった。 彼にはソリューション能力がなかったからだ。 いくら明

「友だち」とは何か? ~ 「居場所」である友達が終わった後

最近、蛭子能収氏の著書を読み、長年の「憑き物?」が少し落ちたように感じる。 それは「友だち」という概念だ。 子どもの頃から若い頃にかけて、友だちとは、なくてはならないものだった。 教師になっても、一緒にミニ・ゴルフをやったりする仲間は、友だちとは呼べないかもしれないが、やはりストレスの多い日々を明るくしてくれる存在だった。 でも、大学時代や高校時代に「友だち」だったからと言って、久しぶりに会っても、やはり友だちかと言うと、残念ながら全くそうではない。 むしろ、がっかりするぐ

「いい学校」の条件とは

①自分ひとりで学ぶ環境と時間帯が保証されている ②座学と並行して、同等かそれ以上の自分の興味関心をベースにしたソリューション力を発揮できる学習体系が保証されている ③「仲間との遊び」が構築できる交流の場と雰囲気及びプログラムを持っている *** まず基本として、「児童扱い」「生徒扱い」といった差別的な扱いをされず、「生命ある存在」として尊重されることがあってのことだが、現在も尚、その基本が確立されているとは言い難い。 何より学校はポジティブな意味で「自由」でなければ

「いい職場」の条件とは

①ひとりになれる時間帯がけっこうあること ②自分の興味関心をベースにしたソリューション力を発揮できる内容を任されていること ③「仲間との遊び」が構築できる交流の場と雰囲気を持っていること *** どうだろうか? ほとんどが、①~③すべて無いという職場の方が多いのではなかろうか。 私は大学を卒業して入社した会社の出勤初日、2時間で「あ、やめよう!」と思った。 その後、8か月も?粘ったのは、数か月後ひとりで車を運転して、東京・神奈川地区をセールスして廻る機会があったから

「時の長さ」は、同じではない

もちろん物理的な時の流れはおなじであろう。 しかし、「1秒の重さ」と考える時、その長さは全く同じではない。 例えば私にとっての1秒と、うちで暮らしているネコにとっての1秒とは、まったく、その重さ=意味が違うのだ。 例えば、横でネコが鳴いているのに、無関心でいる1分は5分から7分、無関心でいる時間であり、10秒心を込めて体を撫でている10秒は、1分以上、あるいは以上の意味がある。 同じく、私にとっての1日と若者にとっての1日も、その「時の長さ」は同じではない。 そう考えると

いかにして神経症に抗うか

私自身も多少覚えがあるが、神経症というのは、苦しいものである。 原因や治療法が皆目わからないし、出口というものが見えない。 苦し紛れにたよってしまうのが、まず薬物。 しかし、薬などあろうはずもない。 精神安定剤などを常用すると、依存症を引き起こし、更に心身が蝕まれてしまうリスクもある。 医師によるカウンセリングなどもしかり。心の在り方など、精神的な問題では無いからだ。 念仏やまじないなどは論外であろう。 神経症は、表面上は何とか社会生活を営める程度であるために、周りから

人の気持ちを高める言葉① 「流石」「君ともあろうものが」

NHKラジオ第一放送の番組内に寄せられたお便りの中で紹介された言葉。 元校長だったという人が、現役時代に生徒に対し使っていた「とっておきの言葉」だとして、生徒がいい事をした時には「流石」、よくないことをした時には「君ともあろうものが」という言葉を用いたという。 よくわかる。 どちらも生徒を「子ども扱い」せず、人としてリスペクトする言葉である。 しかし、これはあくまでも「心得」として使うべきもので、いつもなんでもかんでも同じ言葉を乱用するようでは、どんな生徒にもたちまち見抜

インバウンドしか見ていない「街づくり」は、やがて廃れる

「少子高齢化」「自治体消滅」、これらを打開するにはインバウンドに期待するしか無いとばかりに「再開発」と名の税金の無駄遣いが行われている。 完成した当初は皆、物珍しさに足を運ぶが、一度「大して目新しいものはない」と確認すると、その後はすっかり足を向けなくなる。もったくもって当然の話だ。 そもそもインバウンドを期待して商業施設や宿泊施設を造りまくっているが、観光旅行者が「どこにでもあるような商業施設」に期待するだろうか? 福岡のような大きな都市でも、休日となると商業施設は人であ

学校とは、「強制的に通わなくてはならない場所」ではなく、自主的に学ぶ機会を保障されて安心して通える場所」であるべき

先日、長崎市立図書館へ足を運んだ。 休日であるが、テーブルには実に多くの若者が学習をしている。 多くの児童や若者が、自主的に学習できる「場所」を求めているのが、痛いほどわかった。 そう、学習とは本来、一方通行的な座学ばかりではなく、むしろ自主的に、自己のプランに基づいて行うものが主となるべきである。 しかし、皮肉なことに「学校」と呼ばれる場所は、まったくもってこのような環境は用意されていない。 むしろ、強制的に全て同じプログラムで強制的に管理されている部分が大半を占めてい

歌やゲームなどの遊びこそが、場の空気を一変させ、ヒトを活性化させる

90歳の誕生日を迎えた母に、子どもと一緒に会いに行った。 正直、子どもは昔ほど母たちには会いたがらない。 場の空気が堅くて、居心地悪いからだ。 トランプやSWITCH、ジェンガなどをやったこともあったが、それもすっかり飽きてしまった。 今回、何の企画も無かったが、ふとテレビの中で見た「手あそび唄」のようなものを紹介してみた。 すると場の空気は一変し、ずっと硬い表情だった娘も笑顔になり乗ってきた。「こんなゲームもある!」ということになり、場の空気は一変した。「人が笑顔になるっ

そもそも「経営」とは、トライ&エラーであるはずなのに

そもそも「経営」とは、トライ&エラーであるはずなのに、長い年月「暗記学習」という、何の試行錯誤も必要としない学校教育を受けさせられているから、何か店をやるとか商売に手を出す時に、「お手本に従う」「マニュアルに沿って黙々とやる」に終始してしまう。 しかし、そんな商売敵は、ゴマンといるわけだから、順調にいくわけがない。 「ナレッジ」「マインド」「スキル」は確かに重要なビジネスの3要素だが、「トライ&エラー」が無ければ、どれも似たようなことをやっているだけにすぎない。

雑貨屋さんの商品が、なぜ売れにくいか?

ディスプレイしてある状態を眺めるというのが、とても心地よいからである。 商品の1つを自分の在所に持って帰って置いたところで、同じ心地よさが得られるとは想像できないからである。 では、店の片すみに職人が作業をしていて、卓上にはいろんな道具や、贈り物にパッケージする為の色とりどりのリボンや小箱がずらっと並んでいたとしたら、どうか?