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#48自分らしさの檻の外へ~馬との交流の真髄がここに~


 こんにちは、人馬交流分析士のりょーじ(@Horse Value)です。人馬交流分析って何?りょーじって誰?それをやって何になるの?という疑問への答えは#1をお読みください!

 さて、#40ではH.O.R.S.E.理論と交流分析の関係のお話をしてきました。大まかにお話しすると、僕が馬との交流で得た気づきである「人間は本来H.O.R.S.E.だよね」という理論と交流分析の人間観がすごく似ているよ、というお話をしました。

 ※H.O.R.S.E.理論について詳しく知りたい方は、#7や#28、#29を読んでください!交流分析って何?という人は#30~#39を読んでください!

 とはいえ具体例を交えていかないと中々分からないと思いますので今回から、僕が学びを得た馬と人との交流を、交流分析を用いてより分かりやすく説明していきます。

 今日のラインナップはこちら!
・自分らしく生きることは本当にいいことなのか(#15)という悩み
・心と心の交流に自分らしさなどいらない
・馬の前であなたが心を開くことができるワケ 

 今回は、#15でお話しした僕と馬との心理的交流を取り上げていきたいと思います。これによって「体験→気づき」のプロセスがより鮮明になり、その時に僕が感じたことをより皆さんに分かりやすい形で説明できると思います!

 早速行きましょう!

自分らしく生きることは本当に良いことなのか

 自分らしく生きる、というとすごく良いことだと思われがちです。でもそこで言う自分ってどの、どんな自分?と言われるとハッキリと答えられない人も多いのではないでしょうか。

 そして誰しもなんとなくしか捉えていない自分らしさを、見つけられず確立出来ていない人も多いのではないでしょうか。

 さらにそれを確立したら今度はそれを守ろうとして素直な自分が出せず苦しめられる、ということも起こります。

 そもそも自分らしさって何?というお話は#15で丁寧にしました。すごくシンプルに言うと、「自分らしく」とはこのパターンの在り方でいれば間違いないという必勝法のようなものです。

 でもこれは実は必勝法などではなく「昔受けた痛みを避ける方法」であることがほとんどです。人間関係の中で、「こういうパターンの在り方で、こう存在すれば大怪我することないよね」というイメージです。

 つまり、自分らしさを見つけようというのは「自分の強みを確立して自分が幸せになるパターンを見つけよう」という試みなのですがその方法では、幸せになるという目的を達成できないことがほとんどです。

心と心の交流に自分らしさなどいらない

 さて、自分らしさを確立する、ということは交流分析の中でどういうことなのでしょうか?

 こうしていれば大丈夫という在り方と行動のパターンを持っておく、ということでした。そんなパターンに固執してしまうとどうなるのでしょうか。

 それを交流分析の観点で見ると、他者に対面する時にいつも大体決まった自我状態で接する、ということになります。

いつも同じ顔で、在り方で人と接している、ということありませんか?
いつも同じ仮面をつけて人と接しているようなイメージです

 例えば、愛想笑いを浮かべておけばほとんどの人から嫌われることはないよね、というパターンを必勝法だと思って持っている人のことを考えましょう。そんな人はいつも誰かに気を遣ってAC(適応する子ども)という状態で人に接しています。交流分析的にはACの状態で自分が固定化されている、という風に見ることができます。

 そんな状態こそが自分らしさとして感じるものになります。自我状態を固定化して相手に接することでいつも同じパターンの交流を起こす、これによっていつも交流の形が似たようなものになるのです。

 #15でお話しした、馬との交流でこの自分らしさだけを使っても仲良くなれない、というのは交流分析で考えると当たり前のように思います。
 

 なぜならあなたはいつも同じような自我状態で馬と接するので、基本的にミラー効果が強く、反応することで交流を行う馬はいつも同じような反応を返してくるのです。

馬はあなたを反射する鏡です

 一つのパターンしか馬は見せないので、色々な側面を見ることができずなかなか仲良くなれる感覚にはならないのです。

 実はこの現象は、人間との交流でも起きています。そもそも自分らしく決まったパターンでしか人と接しない人は、なかなか他者に心を許すことができないでしょう。

 誰とでもいつも同じような人間関係のトラブルが起きる、というのも同じようなことで説明できます。

馬の前であなたが心を開くことができるワケ

 さて、最初に説明した自分らしさが「痛みを避けるためのパターンである」というのはどういうことでしょうか。こうしておけば大丈夫、というのはどういうことでしょうか。

 人間は誰しも人間関係の中で痛みを得たことがあります。誰かに怒鳴られたり、バカにされたり、誰かを泣かしてしまったり。

 そんな痛みを避けるために自分らしさ、というパターンは有効なのです。例えば、先ほどお話しした、いつも愛想笑いをしておけば大丈夫だと思っている人は誰かに「お前といると無反応で気分が悪くなる」と言われた痛みを避けるためにそんな行動をしているかもしれません。

 このように、昔得た痛みが自分らしさというパターンを生み出しているのでなかなか抜け出すことは出来ません。ただ、注意しなくてはいけないのは痛みを避けるために自分が獲得したものなので、その時の自分にとってベストな判断であるとは限りません。これがまさに「自分らしさの功罪(メリット&デメリット)」なのです。

 つまり、自分らしさは痛みを避けることが出来るが最終的に幸せにはしてくれないのです。

 実は馬との交流が僕達に自分らしさの殻を破らせてくれる、ということもここで説明ができます。それは、先ほどお話ししたような人間関係における痛みを馬は与えてこないことによるものなんです。

 というのは、「馬は①人に比べて極端にCP(批判的親)が低く②人間の在り方に鏡のように反応する」ので、人間自身が行動を変えることで馬を変えることができる(と実感しやすい)からです。

 そしてそれを実感することができた時、馬との交流において自分自身の痛みへの恐怖はなくなります。自分が変われば相手が変わるという確信は、相手に支配されたり、相手によって痛みを与えられたりする不安から人間を解放してくれるのです。

 僕自身そんな馬との交流を通じて、自分自身が変われば多くの物事が変化するということを知りました。そして感じるままに変化することが重要で、一つのパターンを持つことは自分の可能性を狭めることだと気づいたのです。

 馬と触れ合って出来ることでもありますが、自分自身がどんな痛みから避けて自分の固定パターンを持っているか知ることは、自分のパターンから抜け出す最初の一歩になると思います。

【今日のまとめ】誰かと関わる上で自分らしさに固執すると、その人の本当にわずかな一部分しか見ることができません。そんなわずかな部分を見せあう関係ではなく、全ての自分をさらけ出すような関係性でいられる人になってほしいです。そうなったら自分らしさへのこだわりは自然となくなります。

 明日も一日頑張りましょう!


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