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雑巾掛けの美学はAIには敵わない_ChatGPT4oを使って思ったこと
ChatGPT 4oで盛り上がっているSNSを眺めつつ、
また天邪鬼モードに包まれてしまった。
分からないことを質問したら音声でも写真でもテキストでも答えてくれるのはすごい!!
独学開拓が大好きな私にとって朗報なのかもしれない。
効率化、すばらしい!!
少ない人数で仕事をガンガンさばいていける。
一方でなんか違和感のようなものが増えてはいる。
私がプログラミングを始めたきっかけは、4年前に以下の本に出会ってから。
当時の私は面倒だと感じるタスクで身の回りが溢れていた。。。。ように感じていた。
Python→Next.jsを習得していく中でNotionやObsidian、Codaなどの一元化ツールを魔改造できるようになっていった。
身の回りのタスクはもう十分動線が良くなり、注力すべき業務に専念できるようになった。
ただ、ふと思う。
「退屈ってなんだろう」って。
何を根拠に退屈か否かを判断しているんだろうか?
退屈なことは本当に無意味なことなのだろうか?
今日は、退屈について考えようと思う。
退屈な雑巾掛け
私が小学校の教員だった頃、面白い生徒がいた。
小学生
掃除の時間、今でもほうきと雑巾で掃除をしているのは、、、公立だからなのか、教育だからなのかはよく分からないが、教室の掃除は特に人気がない。
理由は簡単で「雑巾掛けをする距離が長いから」
6人1班のグループを2班担当に充てる。
1班は全員が雑巾掛け担当。
もう1班は3人ほうきで2人が黒板担当。そして残りの1人はベランダ担当。
クラスには6つの班が存在していて、1週間交代で回していく。
雑巾掛け担当になった班は決まって集まりが悪い。
少し頭のいい生徒はなるべく先頭に並ぶ。はじめに雑巾掛けをした方が雑巾の滑りがいいからだ。
ただ、もっと面白い生徒がいた。
雑巾をほうきで操作しだしたのだ。
即興クイックルワイパーが発明された瞬間だった….かもしれない。
終始彼の行動を見守り、掃除の後廊下に呼び出した。
周りの生徒からの「あんなことしたから叱られてるんだろう…」という雰囲気を演出しつつ、本心は違う。彼の思考回路を知りたかった。
私:雑巾で教室の床、綺麗になった?
生徒:なったよ!
私:なんでほうきを使ってみようと思ったの?
生徒:雑巾はしゃがんでやるでしょ?あれが面倒だなって思ったの。しゃがまないで雑巾できれば、楽できるって思った!
私:(あんたは、天才かっ!!)
ただ、これを生徒の前で褒めてしまうと翌日から満を持してほうき雑巾メンバーが増えてしまうだろう。そうなると他のクラスの目に留まり、挙句他のクラスの担任からクレームが来るのは安易に予想がついた。
「行儀が悪い」と。
掃除をすることだけを目的にできれば彼のアイディアはクイックルワイパー並みに流行させられたかもしれないけど、学校は「教育の場」である。残念ながら、規則には逆らえないし、1つ逆らったら、あれもこれもと逆らいたいことだらけになってしまいそうなので、蓋をするしかないのが現状だった。
高齢者
ずっと学校で仕事をし続けたい…といった熱意は全く沸くことはなく、このままでは退屈だ…と思い数年後、転職した。サービス付き高齢者住宅の仕事である。これが結構楽しかった。業務の中に訪問介護が含まれていて、ここで雑巾掛けネタに再び出会ったのだ。
訪問介護は、時間内にあらかじめ決められた場所を掃除する業務がある。介護度によって介護士が全て行うこともあれば利用者さんと一緒に行うこともある。あくまで介護であってサービスではない…といった感覚だ。
できる力が残っているのであればリハビリも兼ねて使う機会を用意しないとあっという間にできなくなってしまう。
部屋の掃除を一緒に行いながら、その人の掃除のやり方を観察するのが好きだった。毎回掃除が終わると掃除機を分解して掃除機の掃除をするのが慣例な方、場所ごとに専用スポンジを使い分けている方、トイレクイックルを流さずゴミ箱に捨てている方、洗剤の開封日を新聞の日付の切り抜きを貼って管理している方、ストックは1つ未開封の洗剤がないと不安になる方、個性があって楽しかった。その人の慣例に合わせて掃除を手伝う。その人が何度も拭きたい箇所があれば代行する。こだわりにはできる限り従う。
ただ1人、90歳を過ぎても雑巾掛けをする利用者がいた。
なにがなんでも床の掃除は雑巾掛けをしないと気が済まない…といった雰囲気で、いつも水拭き雑巾で部屋の隅から隅まで掃除をしていた。クイックルワイパー(水拭き版)を勧めても受け入れてくれなかった。私はなぜそこまで雑巾にこだわるのかを知りたくなり、掃除の後のティータイムで聞いてみた。
私:雑巾掛け、大変じゃないんですか?
利用者:とっても大変。たまにめまいがするときもあるのよ。
私:教員やっていたとき今でも教室の床を雑巾掛けするのが不思議だったことがありまして、なぜ今でも学校は雑巾掛けを続けていると思われます?
利用者:足腰の運動になるからかしら?あと、わたしは力の加減ができるから雑巾は好きだわ。汚れを落とせた感覚が分かるもの。
私:(汚れを落とす感覚👀!!!!)
盲点でした。
これを聞いてから、私も家の掃除は雑巾掛けをするようになりました。
….あ、嘘です。時間がある時にやってます。はい。
目の前の事象に向き合う
【掃除をして部屋を綺麗にする】
ただこれだけの字面でも、受け手によってあるやり方を肯としたり否としたりする。
クイックルワイパーなら簡単に埃を取れる
ちょっと片付けを頑張ってルンバを導入すれば勝手にやってくれる
確かに汚れは取れるけど、
汚れを取った事象に対して何も感じなくなる。
…あれ?退屈だぞ???
自分の感性探究
綺麗になった部屋をイメージした時にどんな視界を想像するだろうか?
綺麗だなと感じさせる要素は何か?結果?過程?両方?
楽しいと感じていたことが急に退屈になってしまった時、
何かを経由できていない。
それは道具の導入によるものかもしれないし、
AIの働きによるものかもしれない。
「やりがいってなんだったんだろう….」
最近こればっかり頭をよぎるようになりました。
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